京都・法勝寺九重塔の風鐸を想像する

 中国・洛陽の九重塔の風鐸について記したが、かつて日本にも九重塔が建てられていた。
 11世紀後半、白河天皇法皇)によって京都に創建された法勝寺(ほっしょうじ)の九重塔。15世紀の応仁の乱で壊滅し、今は京都市立動物園になっている。
  
「日本の歴代の天皇のなかで、白河法皇ほど強力な専制君主は稀である」(角田文衛「薄暮の京」)。
 白河法皇は、親政、院政と57年にわたって権力の頂点に立ち、京の外域だった白河の地に、御所を造って院政を行い、ここを新しい京の中心に変えてしまった。
 白河街には、法勝寺をはじめ、尊勝寺など、6つの勝の名の付く寺院(六勝寺)を御願寺として建立した。
 象徴として、まず、法勝寺の高さ80mもの九重塔を建立。しかも、八角屋根であった。
 
  現在、九重塔は模型やCGで再現され、目にすることが出来、小さな風鐸もついているようにもみえるが、文章で触れられていないし、問題にされていないようだ。
 
 洛陽の永寧寺は9層で130個の風鐸がついていて、音が遠くまで聞こえたことが記されていた。
 法勝寺は、同じ9層だが、八角屋根のため、各層8つの軒がある。
 永寧寺のように、相輪部などに付いていなかったとしても、最低9×8=72の風鐸がついていた可能性が高い。
 一般的な五重塔の5層×4=20個よりはるかに多い。
 
 九重塔に本当に、風鐸はついていたのだろうか。
 法勝寺の跡地からは、古瓦、泥小塔などが出土している程度だが、宝塔を描いた塔婆文軒丸瓦が2例出ている。
 九重塔とは違うが、堂々とした宝塔で「相輪から軒端につながった鎖や、軒下には小さな風鐸もみえている」(景山春樹「仏教考古とその周辺」)。
 同時期の類似品の仁和寺所蔵宝塔文軒丸瓦が参考になる。確かに、風鐸がしっかり描かれている。
 
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 京都市に吹く風は、11月21日から5月7日までが強く、平均風速は13.6㌔㍍超。11月29日から1月27日までは西風が多く、以降は6月まで北風の頻度が高いのだという。(WEATHER SPARK「京都市における平均的な気候」)
 
 冬から春と京都に吹く強風に揺られて、法勝寺の九重塔は、院政、源平、室町時代の世に、70もの風鐸が鳴り響いていたのではなかったか。