不思議なタブローと嵯峨野・芭蕉研究家

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 哲二・小夜について、最後に綴りたいことがある。全くの推測であり、大はずれかもしれない。
 
 哲二32歳の時、洋画家の親友がいた。9歳年下の画家・三田康(さんた・やすし)。飯野哲二が上梓した「近松の芸術と人生」〈大正12年、東条書店〉の表紙の絵を描いた。哲二は自序でこう書いている。
 
「表紙の伊佐衛門の紙子姿の素描は親友の洋画家三田康君の手を煩わした」
 
 当時、三田は23歳。2年前に東京美術学校在学中(現東京芸大)に「裸体」で帝展に初入選した気鋭の洋画家だった。昭和2年には「座像」で帝展特選を得ている。女性像を得意とした。
 
 卒業制作の「自画像」は東京芸大美術館のHPで見ることが出きる。
 
 
 大津生まれで、藤島武二に師事。昭和11年には、猪熊弦一郎らと新制作派協会を創立し、順風満帆であったが、戦争が運命を変えた。従軍画家として「レンネル島沖海戦」など描くが、戦後は、新聞小説の挿絵など、活動の場が限られた。
 
 一大決心したのだろう、昭和42年フランスへ渡って、洋画家として新境地を求めたのだろうが、翌年68歳で亡くなってしまった。
 
 ここからが、本題だ。三田の作品は、滋賀県立近代美術館、富山の美術館が収蔵している。しっかりとしたデッサンの写実的な絵が多い。そんな画風の中で、全く違う、気持ちが明るむような、単純、様式化した優しい絵を発見した。滋賀県立近代美術館に収蔵されている「早春」。制作年代は不明。戦後作品だろう。
 
 
 春の到来を喜んでいる庭の絵。連翹が黄色の花を咲かせる庭で、芭蕉5本が、人間のように庭に立ち、後ろに「壷池」が描かれる。
 
 謎解きが必要な不思議な絵だと、僕は思った。
 
 なぜなら、連翹は「闌春」の季語、早春に花は咲かせないから。芭蕉の芽も、同じだろう。連翹と、芭蕉に託して、画家が、誰かを祝福した絵だろう、と。
 
 そう、「雨の日でも連翹の咲くあたりだけは明るい」(水原秋桜子編・新編歳時記)。その連翹は、小夜だろう。芭蕉は、親友だった芭蕉研究家の哲二。後ろの、壷池は、芭蕉の句「古池やー」を、シンボライズした池だろう。
 
 渡仏した昭和42年の数年前から、哲二、小夜は京都でひっそりと住まいしている。画家三田康が、2人にエールを送ったのが、この「早春」ではないか。
 
 
 滋賀県立近代博物館は、昭和62年に絵を買い取っている。どうゆう経緯で入手したのか、分かれば、真相に近付くが、それまで、こんな空想を愉しむことにしよう。
 
 嵯峨野のお寺から、愛情話ばかりか、友情話に辿り着いた、ということで、嵯峨野の話はおしまいにする。
 
 
追記 HPで見ると、富山県の収蔵作品紹介で、三田 康を「みた・こう」と呼んでいる。人気の家政婦ではないのだし、ミタでは、ありません。「さんた やすし」