先に記した、金鵄の巻3、倶知という鷹の巻11も、山田史が担当したことになる。
神武東征で活躍したヤタガラスは、古事記にも出るが、金鵄は書紀にしか出てこない。
山田史のオリジナルということになる。
逆に鷹関連では、垂仁記紀、ともにクグイ=白鳥の話は出てくるが、大タカ(タカは、漢字で、左が帝、右が鳥)を放って、クグイを捕まえさようとした話は、古事記に限られる。山田史は白鳥を狩る大タカのエピソードを避け、放鷹は後世、仁徳年間に百済から持ち込まれたもの、と整合性をつけている。
仁徳天皇の名は、オオササギ=小鳥のミソザザイだが、本来は「木兎(つく)」であり、武内宿禰と応神天皇が子供の名を交換したのだと、書紀のみ書いている。仁徳帝は猛禽類のツク=フクロウの名を初めは持っていた、と山田史はあえて記している。
トビ(ハイタカ) ● ○
大タカ ○ ●
ハヤブサ ○ ○
ツク ● ○
特に、古事記の作者には、王権のシンボルをワシタカ類にする考えが欠けているように見える。
山田史の方は、猛禽類を王権に結びつけようとしている。そのためか、悪役になってしまったハヤブサを越える鳥として、神武東征で、トビ(ハイタカ)を登場させ、善政の象徴、仁徳帝にツクを関連付けて、古事記にはない猛禽類を、登場させている。
恐らく、御方と君麿は、非常に近い関係だろう。山田史は、ともに鷹と縁が深いことが伺われる。
(続く)