台湾を初めて尋ねた時、台湾生まれの日本人画家、立石鉄臣さんの存在を知った。立石さんらと植民地台湾で青春時代を送った考古学者、宋文薫さんの文章でだった。
夫人は、台湾帝大で英文学を教えていた工藤好美氏の妹で、台湾の学生たちにとって憧れの対象だった。彼女を20歳年上の立石さんが射止めてしまい、新聞でも話題になった。若き考古学徒の宋さんもガッカリしたようだ。
当時、立石さんは人類学教室で金関丈夫教授らと活動し、若い宋さんとも親しかった。戦争が終り、即時帰国組でなく、立石さんは金関さんらとともに3年後に帰国することになった。立石さんは帰国の渡航資金を作るため、展覧会を開いて、仲間に絵を買ってもらった。
但し、非売品展示もあった。立石さんが日本に持ち帰る大事な絵だった。夫人の絵もそうだった。
宋さんは意を決して、僕に売ってください、と言い出した。拒否する立石さんに、夫人は「宋文薫が私を愛してくれて嬉しい。彼に絵を渡してください」とキッパリと言ったという。
おかげで、今も、研究室に飾ってある、というものだった。
植民地時代の台湾でのつかの間の青春。マドンナだった日本女性への、台湾の若い学徒の思慕が伝わってきて、僕は新鮮に思ったものだ。
立石さんを調べて行くうちに、僕も夫人同様、立石さんに惹かれてしまった。金関さんの文章にも登場するし、洲之内徹さんが立石さんのことを、 心を込めて書いているのも後で知った。
立石さんは、台湾で評価が高まっている。終戦前の1930、40年代の台湾の街、人々の様子を描いた絵が貴重なものとして見直されているのだ。しかも愛情が籠っているとして。
「台湾民俗図絵」は立石さんの絵を集め、向陽氏が解説し、1986年に出版された。仲間の金関さんらが編集し、挿絵を立石さんが担当した「民俗台湾」についても、陳艶紅さんが「『民俗台湾』と日本人」を台湾で、日本語版で2006年に出版している。
両方とも手に入れ、大事にしている。
なんで、立石さんのことをここで書くのか、
実は、台湾の習俗として「天狗の版画」を描いているのを思い出したのだ。天狗は天の狗=イヌ、として可愛らしく描かれているのだった。
(続く)