羽白熊鷲をオオワシに「比定」してみた

 記紀には、猛禽の名をもった人物がほかにも登場する。日本書紀の巻9。神功皇后が筑紫を「平定」する話の中に、羽白熊鷲が出てくる。
 
「荷持田村(のとりたのふれ)に羽白熊鷲という者があり、その人となりは強健で、翼がありより高く飛ぶことができる。皇命に従わず常に人民を掠めている。(三月)十七日に皇后は熊鷲を討とうとして、香椎宮から松峡(おの)宮に移られた。そのときつむじ風がにわかに吹いて、御笠が吹きとばされた。ときの人はそこを名づけて御笠といった。
 二十日層増岐野にいき、兵をあげて羽白熊鷲を殺した。そばの人に「熊鷲を取って心安らかになった」といわれた。それで、そこを名づけて安という」
 
 羽白熊鷲は、強健で、翼があり高く飛ぶことができる。おそらく、実際のワシタカ類をイメージして作り上げた人物像なのだろう。
 
 その猛禽はなにか。「羽白」をヒントに考えた。
 ハジロという名をもった鳥を見てみると、キンクロハジロ、オオホシハジロなど「ハジロ属」の鴨がいる。
 
 
 翼の初列風切、あるいは次列風切の上面に白い斑紋があり、飛ぶと、下から白い模様が見え、ハジロの由来となっているという。全身白だと「羽白」とはならない。羽だけか、或いは羽の一部だけが白いから、こういう名がついたのだ。
 
 日本近辺に生息する、そんな風姿のワシタカは、「オオワシ」だろう。
 
 
 寒冷な土地の、海岸、河川、湖沼近くに生息して、サケなどの魚、ウサギなどの哺乳類を捕食する。 ロシア東部で繁殖し、朝鮮半島、北海道、本州北部にも飛来し越冬。琵琶湖でも観測されている。
 
 果たして、古代筑紫にも、生息したものか。
 
 今は絶滅したというが、朝鮮半島にはチョウセンオオワシが生息していた。そのチョウセンオオワシが、冬になると九州に渡ってきたのではないか。
 
 それが、羽白熊鷲の原像になったのだろう。
 
 700年ごろまで古代日本は、寒冷期だったという説があり、越冬のために飛来した可能性を後押ししてくれる。
 オオワシをシンボルにした地方の「族長」が、筑紫に居たのだ。