2020-01-01から1年間の記事一覧

薬師寺東塔に登った57歳

江戸時代に、大和薬師寺の東塔の屋根に登った屋代弘賢の「金石記」を探して、アーカイブを覗いてみると、同書に合わせて松崎慊堂(こうどう)の「大和訪古録」が収録されていた。 「大和訪古録」には、屋代が屋根に登った37年後に、慊堂一行もまた東塔に登っ…

薬師寺東塔に登った屋代弘賢

相輪の伏鉢の銅板銘を確認するため、命綱をつけて寛永寺五重塔の屋根に上った浦井正明寛永寺執事長の話を前に書いたが、江戸時代寛政年間に、相輪下部の銘文を観察するために大和の薬師寺東塔の屋根に果敢に登った国学者がいた。 私は、今頃になってそのこと…

清張「断碑」へのいらだち

なんで、森本六爾について、むきになって書いているのか。自分でも考えてみた。 おそらく、森本のモデル小説「断碑」を書いた松本清張によって作られたイメージにいら立ちを覚えるからだろう。 「当時の考古学者は誰も木村卓治(森本)の言うことなど相手に…

紫の風呂敷包を持ち運んだ六爾

歴史学者であった三宅米吉は、大正8年から5年間、東京高等師範学校の学校挙げての騒ぎの渦中にいた。 同年一橋大の前身、東京高等商業学校が、いち早く中橋文相の許可で大学昇格(東京商科大)が決まったためだった。蔵前にあった高等工業高校(現東工大)…

森本六爾の颯爽デビュー

昭和2年の「研究評論 歴史教育」に掲載された東京高等師範教授中村久四郎と森本六爾の共著の広告を見てみると、 中村の肩書は「東京高師教授 史料編纂官」 森本の肩書は「東京高師歴史教室」となっている。ともに「先生」と書かれている。 三宅米吉東京高等…

四海書房と「考古学研究」

神保町のY書房で「研究評論 歴史教育」という学術誌を見つけた。昭和2年7月号と9月号で、この中に、森本六爾編輯の「考古学研究」創刊号の広告が掲載されていて、びっくりした。 坪井良平宅を編輯所として立ち上げた「考古学研究」は、「四海書房」という東…

六爾に託した米吉のこと

歴史学者としての三宅米吉について、なお書いておきたいことがある。 今から振り返ると、晩年の大きな役割は、考古学徒の森本六爾を支援して、育てようとした事だったように思う。奈良県磯城郡(桜井市)で生まれ、地元で熱心に研究を進めていた若き森本は、…

「晩夏」と2人ぼっちの寂しさ

高校時代に友人と2人、諏訪の寺でひと夏を過ごしていたので、高原の「晩夏」のさみしさは知っている。夏休暇が終るという焦りもあるが、7月に寺に来た時の、盛夏の村の様子が明らかに変わり、刺すような日差しも鈍くなり、セミの鳴き声もおとなしくなり、あ…

「FBI」とハヤブサ

猫に邪魔されないものを、WOWOWオンデマンドで見るしかない。 米CBSの人気シリーズ「FBI 特別捜査班」。主演女優がカナダ出身のMissy Peregrym。ハヤブサperegrineに、似た発音、スペルの名前なので、ワシタカ類に関心をもつ者として、前から気に…

猛暑日の猫

「ワイルド・ライフ」などテレビの動物番組を鑑賞する我が家の猫は、さらに関心を広げ、PCのバレエ動画にも関心を示すようになった。 WOWOWオンデマンドで、英ロイヤルバレエ団「不思議の国のアリス」を見ていたところ、猫が机に飛び乗ってきた。目ま…

ひとまず休止の甲鳥書林探索

猫の検印に出くわしたのが始まりだった。 甲鳥書林の検印紙が気にかかり、少しずつ調べてみると、また気にかかることが出てくる、といった具合だ。 甲鳥書林の検印紙は、それぞれ、大きさやデザイン細部が違って居る。 大きな堀辰雄の検印紙は、5.5㌢×4.8㌢…

麦南句集の印

甲鳥書林の書籍のなか、「人音 西島麦南句集」(昭和16年)は凝った検印紙に動じず、普通の印を捺してあった。 西島は23歳から5年間、「新しき村」に参加した。そのためか、武者小路実篤が装幀を担当して野菜や果物(柿)の絵を描いている。 目を通すと、…

一琴一硯之楽の新たなナゾ

昼寝覚め、散歩がてら図書館まで、予約しておいた堀辰雄全集8巻「書簡」(大正11年~昭和28年)を受け取りに出た。 手に取ってすぐ、昭和16年の辺りを開くと、偶然にも8月25日軽井沢から、義弟加藤俊彦にあてた速達便・封書の掲載された246-2…

「晩夏」が届いた

昭和16年の「晩夏」が届いた。 ドキドキしながら、奥付を開く。 あった、堀辰雄夫妻が半日かけて捺した「一琴一硯之楽」の印。 縦6㌢横5㌢の大きな検印紙に、縦長2㌢×1.3㌢ほどの印が捺されている。 「一つ一つ丁寧に『琴』だとか『硯』だとかいふ文…

堀辰雄が妻と捺した一琴一硯の印

甲鳥書林の著者検印について、新たに分かったことがある。 昭和16年、甲鳥書林から「晩夏」を上梓した堀辰雄が、検印についての文章を書いていたのだ。 「我思古人(旧題・一琴一硯の品)」という随筆で、青空文庫で読んだ。 「『晩夏』が校了になり、ほっ…

甲鳥書林の検印ー中山義秀のケース

昼時、神保町のA書房による。寄るといっても、あまり縁のない専門書の古本店なので、外に置いてある100円のゾッキ本を覗くためである。小林剛「日本彫刻史研究」、平田俊春「平安時代の研究」などの大冊もここで見つけ手に入れた。 他にも長谷川如是閑の…

甲鳥書林と猫印のアイデア

前に森田草平著「夏目漱石」(昭和17年)で見つけた猫をデザインした著者検印を面白いと紹介した。草平自身のアイデアだと思ったが、或は、出版元の甲鳥書林のサジェッションがあったかもしれないと思うようになった。 猫のようにデザインした草平印 この…

玉鷲関の美しいワシ浴衣

昨年細と泊まった秩父の温泉宿は、元力士が経営していて、浴衣も実際の現役力士のオリジナル浴衣を選ぶことができた。 私は、ちょっと色が派手だったが、鷲の模様にひかれて、すぐに決めた。 モンゴル・ウランバートル出身の玉鷲関のものだった。 ワシは、紐…

古墳時代の砥石

砥石を軽視するなかれ。 砥石は、千葉県市原市の稲荷台1号墳(北)から出土している。 古墳中期の円墳で、「王賜」銘鉄剣が発掘された重要な古墳だ。 入江文敏氏「佩砥考」 砥石は長方形で、上部に孔があることから、帯から吊り下げられる「佩砥」と解釈され…

赤瑪瑙の火打石

玉造と倭建命との関係を伺わせる記載は特にないが、「火打石」をキーワードにすると、浮かび上がってくるものがある。 「常陸国風土記」の久慈郡の条を見てみる。 久慈と名付けたのは倭建命だと書かれている。 ≪古老がいうことには『郡役所から南の近いとこ…

玉造センターと倭建命

佐賀市の知人から、定年後の仕事が決まったと、挨拶の電話があった。結構なことなので喜ぶと、小城市の会社に通うのだという。「小城羊羹の小城ですか」と答えると、「しっとっとですか」と驚く。砂糖が固くこびりついた小城羊羹は、なんども食べた。 ほんと…

騎馬軍団前史の倭建命

若いころ、カメラマン2人と東南アジアへ仕事で出かけた。 やがて一人は水中カメラマンの大御所になったが、もう一人は軍事評論家になった。軍事評論家になった彼は当時、カメラマンとして「軍事民論」という民間の軍事研究会を立ち上げたO氏の手伝いをして…

日葉酢媛から息長帯姫へ

いきなり、石枕のことを考え出しても所詮はシロウト。これから網羅してチェックするほど、残りの人生は長くない。 今までの記憶と手に入る史料で考えるしかない。 神功皇后が、先に亡くなった仲哀天皇のために、棺の石材を手配する話が、「播磨国風土記」に…

石枕に踏み込んでみると

石枕文化のルーツを探るには、石枕が最も早く出現した地域を調べることだろう。それが特定できれば、石枕の文化が、そこに海外から初めて伝わったか、あるいはそこで出現したかということになる。 編年を作る作業は、最古の石枕を発見するために重要な手がか…

ネズミが齧った石枕

ネズミのおかげで、大きな解明につながる、こんなこともあるのか、Y書房で手に入れた「千葉史学」の87年5月号の白石太一郎氏の論文で知って興味がわいた。(「大鷲神社古墳発見の石枕とその提起する問題」)。 白石氏が取り上げているのは、「常総型石枕…

法隆寺元禄再建論について

NHKの「ブラタモリ」で法隆寺を訪ねる回(4月9日放送)があった。 約1300年前に再建された同寺の金堂を紹介しながら、300年前の江戸時代の装飾を紹介していた。金堂の2階の軒を支えるために江戸時代に柱が加えられ、柱には龍が巻き付いている。倶…

法隆寺再建論争の恐ろしい誤記

テレビで米国の情勢をとうとうと語っていた経済研究所の所長が、秋の大統領選を前にトランプがミスを連発して自滅気味なことを、「漁夫の利でバイデンが有利になっている」と話していた。漁夫の利という言葉の意味を取り違えている、この程度の人の話を信用…

喜田貞吉の「悲惨なる僥倖」

なぜ、喜田貞吉が法隆寺の老人、北畠男爵に気に入られたのか。 ヒントになるのが、喜田が還暦の時に発行した「六十年の回顧」(昭和8年)の記述だ。 喜田は明治38年法隆寺に二度目の訪問をしたときに、奈良女子高等師範の水木要太郎に北畠邸に連れていか…

法隆寺国宝仏をカンカン叩いた男爵

息子夫婦が近所に越して来てから久しく、孫を連れて遊びによく来るが、先だっては、夫婦で訪ねた京都の寺の話になった。副住職に檀家の墓地に連れていかれ、周囲の墓をペタペタ叩いて、墓石の説明をされたという。ペタペタペタペタ。止むことがなく、そんな…

地震と要石と鎌足と

未明に地震があって、目をさました。 震源地が千葉東北部と知って、ああ、要石の鹿島神宮の傍か、地震の巣だからな、と思いまた眠った。 家族で鹿島神宮にお参りに行ったことがある。元旦が仕事だったので、年末に休暇を取って、鹿島神宮には大みそかに訪ね…