赤瑪瑙の火打石

 玉造と倭建命との関係を伺わせる記載は特にないが、「火打石」をキーワードにすると、浮かび上がってくるものがある。

 

 「常陸国風土記」の久慈郡の条を見てみる。

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 久慈と名付けたのは倭建命だと書かれている。

古老がいうことには『郡役所から南の近いところに、小さな丘がある。その形が鯨鯢(くじら)に似ているので、倭武天皇が久慈と名づけられた』≫ (東洋文庫風土記」=吉野裕訳、平凡社、昭和44年)

 

 その久慈郡役所から西の静織(しどり)の里の近くで、石が採れる。

北に小川がある丹石(瑪瑙)が入りまじっている。色は㻞碧(碧い文様のある石か)に似て火打石に使うともっとも好い≫と書かれている。

 

 この丹石こそ、玉造で装飾品に加工される赤瑪瑙なはずなのだが、「火打石」に活用できるのだと記載されている。

 

 ここで思い浮かぶのが、記紀神話で描かれた倭建命のおば、ヤマトヒメである。伊勢神宮を訪ねてきた東行するタケルに、無事を祈って、草なぎの太刀とともに、袋を手渡す。

 この袋の中には、火打石が入っていた。焼津で火攻めにあったタケルは、草なぎの太刀で燃える草を斬り倒して、逆に、袋の中の火打石を取り出して風上から火をつけて敵を倒したという説話につながっている。

 太刀とともに、火打石が、「タケルの東征」で、重要なアイテムになっているのは、注目されていいのだと思う。

 

 玉造センターでは、「火打石」も貴重な製品として取り扱われたのかもしれない。瑪瑙は、モース硬度が6.5-7で、火打石のモース硬度6-7と比べて十分堅さは保証される。

 それとともに、ヤマトヒメの手渡したものには、砥石もあったのではなかったか。太刀には欠かせない必携アイテムであるから。

 

 鉱石との関連でヤマトタケルを見直せればもっと面白くなると思う。