法隆寺国宝仏をカンカン叩いた男爵

 息子夫婦が近所に越して来てから久しく、孫を連れて遊びによく来るが、先だっては、夫婦で訪ねた京都の寺の話になった。副住職に檀家の墓地に連れていかれ、周囲の墓をペタペタ叩いて、墓石の説明をされたという。ペタペタペタペタ。止むことがなく、そんなことをしていいのか、はらはらしながらも、笑いをこらえるのが大変だったという。

 

 そういえば、国宝の仏をペタペタ叩いた話があったのを思い出した。

 明治大正時代、法隆寺の門前で暮らしていた北畠治房男爵が、明治38年、歴史学者喜田貞吉法隆寺に案内した時のエピソードだった。

 

 喜田貞吉回顧録を読み直してみると、ペタペタじゃなかった。ステッキで叩いたのだった。

 

 男爵は、法隆寺金堂の案内人に「俺がお客様を案内するから、お前たちは下がって休んで居るがよい」と追い出したという。するとー。

「御自身須弥壇の上へ登って、ステッキで仏像を叩いて見て、「どうだ此の音が推古式だが、お前にはわかるか」」と言ったのだった。

 須弥壇の上には、釈迦三尊像があったはずだ。銅造鍍金なので、カンカンと音がしたと想像する。

「目を閉ぢて柱を撫でて見ては、「此の手触りが推古式だがお前にわかるか」と言はれる。」

 石井敬吉や伊東忠太ギリシャ建築との関連を指摘した法隆寺のエンタシスの柱のことなのだろうが、喜田はどこの柱なのか詳しく書いていない。

 

「次には東院、次には中宮寺と、それぞれ御案内を受ける。「これ小尼!俺がお客様を案内するから、お前は曼荼羅を出したら下ってよろしい」と、何処までも此の調子で、男爵は丸で法隆寺界隈の大御所様だ。」

 曼荼羅とは、天寿国曼荼羅繍帳ではないか。

 

 この不思議な人物については、薄田泣菫の「猫の微笑」で初めて知った。こんなオヤジがいたかと。同書の3話では、列車内で立派なパナマ帽をかぶった老人に会い、それが話に聞く法隆寺の老人だと知る。4話では、だれもかれも「お前」呼ばわりするが、泣菫はやっと「貴公」とよばれるようになったと書いている。

 

 なぜ、喜田が男爵に気に入られたのか、というと。

 

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