2020-01-01から1年間の記事一覧

迂外の「俳人の食味」

昭和10年の「やまと」1月号は、フクロウの絵の表紙で40頁だて。小泉迂外の句は「初日集」の3番目に掲載されていた。 臼田亜浪「元日を飼われて鶴の啼きにけり」 加納野梅「元日のたちまち暮るる献酬や」 とのどかな新年の句が続く中、迂外は年の暮れの…

寿司作りと俳人小泉迂外

休日の朝昼は、必ず食事を作っている。大体は細に好評なのだが、パスタ、そば、うどん、ソーメンの麺類や、炒飯、オムライス、親子丼などに限られた狭いレパートリーなので壁にぶち当たってしまった。 和食に挑戦か、寿司はどうか。ネットの寿司レシピをみる…

Taste of Amazon

My cat loves the chewy texture of Amazon packaging box .

苦労して「祭猫文」を読んではみたが

各務支考「祭猫文」の本文は、難解だ。誰か評釈をしているのだろうが、手元にない。 何度か、読んでいると、支考は、亡くなった猫をメス猫として描いていることが、分かった。 かつては華やかな恋もしたが、源氏物語の女三宮のように、尼となって李四の草庵…

「祭猫文」の風流猫

コロナウイルスのせいで、休日は引き籠る。 細があくびしながら、テーブルの上で新聞を読もうとすると、猫は新聞の上に寝そべって邪魔をする。書室で私がパソコンをチェックする気配を感じ取ると、今度はこっちに飛んできてPCのキーボードの上に陣取って、…

恒友展を待ちながら武内桂舟の猫に出くわす

画家の森田恒友の展覧会が2-3月に埼玉県立近代美術館で開かれるというので楽しみにしていたのだが、コロナウイルスのため、美術館が閉鎖されてしまい、このまま終了してしまいそうだ。2月匆々に見に行けばよかったと後悔している。 恒友には、セザンヌ、…

皇帝の鐘と銅鐸

ロシアの鐘(コーラカル)について思い出したのが、柴田常恵氏の先生だった考古学者の坪井正五郎氏(1863-1913)のことだ。英留学し、東京帝大の人類学教室で、考古学や人類学を日本で立ち上げた人物だ。 私は、「ウリユス」という江戸時代の薬問屋…

エレメンタリーに出てきたコーラカル1

新型コロナ蔓延のため、自宅でじっと過ごす。 NYを舞台にシャーロック・ホームズと女性のワトソンが活躍する連続ドラマ「エレメンタリー7」の最新放送をWOWOWオンデマンドで見ることにした。 合成オピオイドのフェンタニル(「合成ヘロイン」)が殺…

政職氏と考古学者柴田常恵氏の出会い

考古学者の柴田常恵(じょうえ)氏(1877-1954)の残した豊富な写真資料が、国学院大学デジタル・ミュージアムで簡単に見ることができる。北海道から鹿児島、朝鮮、南洋パラオ、中国―フィールドワーク、遺跡発掘調査など貴重な写真資料ばかり。 そ…

榊原政職氏と関野貞教授

夭折した考古学徒榊原政職氏について書いたが、不思議に思うのは、小田原中学を卒業後どうして京都帝大の教務嘱託に採用されることができたのかということだ。 政職氏の遺著「人類自然史」で表紙デザインに協力した建築史の大家、東京帝大工科大学教授の関野…

ジャズ・アルバムの怖い顔の猫たち

神保町の猫のいるレコード店の主人からケータイに連絡があった。 「随分前に頼まれていたレコードが見つかったのですが、まだ御入用ですか」と。 「御入用も御入用。取りに行きます」と言って、事務所を抜けだして取りに行った。 猫のジャケットのジャズアル…

パデレフスキと米国の予備役中尉

あんまり「パデレフスキ自伝」が面白いので、アマゾンUSに注文し1938年発行の原本を取り寄せた。メリーランド州フレデリック市の古本店からじきに届いた。便利な世の中になったと思うし、直接だから安価(数千円)で手に入れられるようになった、と改…

トマス・グレイの猫哀歌

弔いで猫に数珠を持たせた英文学者・福原麟太郎(1894-1981)は、トマス・グレイやチャールズ・ラムの日本への紹介で知られるが、このうちトマス・グレイ(18世紀の詩人・歴史家)についていえば、彼もまた、猫の詩を書いていた。 私は知らなかっ…

猫に数珠

新年恒例の、高校時代のクラスメートの会合が自由が丘の蕎麦屋であった。 隣に座ったS君が、昨年末12年飼っていた猫が亡くなったと、がっかりしていた。別邸として使っている亡き両親の郊外の家の庭の片隅に、50センチほどの穴を掘って埋めたところ、気…

榊原政職氏の遺著のこと

夭逝した考古学者榊原政職氏の遺著が目の前にある。 300頁を超える立派な「人類自然史」(内外出版、大正12年)。日本の石器時代の文化の研究から、世界全般の人類の研究に及ぶ著作であった。 前に触れた熊本県の轟貝塚の発掘の1か月後、血尿を訴え、…

パデレフスキ髪伝説の出どころ

ボストン駅での、ピアニスト・パデレフスキと靴磨き少年のエピソードを、どうして、薄田泣菫が手に入れて書いたのか。きっとネタがあったのだろう。ちょっと探ってみた。 1917年に薄田は書いているが、パデレフスキの初渡米は1891年。26年前のこと…

泣菫が取り上げたパデレフスキ

神保町の猫のいる古レコード店で見つけては買い込んでいるピアニスト・パデレフスキのLPレコードが溜まってきた。なにせ、1860年に生まれ、1941年に亡くなっている世代の演奏家なので、時々音楽会に一緒に行く知人に話をふっても、まったく興味を…

考古学者「榊原政職閣下」のこと

「黒猫」を書いた薄田泣菫に興味を持って、随筆を読み始めている。「茶話(ちゃばなし)」には、明治、大正期の名だたる政治家、作家、画家、学者の素顔を描き、時に笑い飛ばしている。歴史学者の喜田貞吉もお婆さんのような笑顔をからかわれ、「広辞苑」の…