あんまり「パデレフスキ自伝」が面白いので、アマゾンUSに注文し1938年発行の原本を取り寄せた。メリーランド州フレデリック市の古本店からじきに届いた。便利な世の中になったと思うし、直接だから安価(数千円)で手に入れられるようになった、と改めて思う。
表紙の見返しに、帆船の絵の蔵書票(EX LIBRIS)が貼ってある。1942年12月10日に購入したとの書き入れもあった。所蔵者は、AIR CORPS(陸軍飛行隊、今はない)の予備役の軍人(中尉)だった。当時、米軍は日本とガダルカナル島を巡って戦闘し、12月末日本軍が同島から撤退している。そんなころだ。
ポーランドのピアニストに興味をもって本を読んでいる軍人の存在が興味深かった。
ところどころに、下線と書き込みがある。「IMPORTANT」と記されている一節があった。
パデレフスキが、パリのサロンで、ショパンの弟子だったデュボア夫人と話す場面だった。彼が夫人の前でショパンの前奏曲17番を演奏し、最後の楽節に及んだ時、夫人からショパンはそういう風に弾かなかったと指摘された。左手の低音はショパンは強く弾いていたというのだった。
楽譜ではディミヌエンド(だんだん弱く)と記されている。夫人は右手はそうだが、左手の低音はショパンが、城の古時計が11時を打つ響きをイメージにしていた。だから同じ強さで演奏していたというのだった。
それ以来、パデレフスキもそのように同じ強さで演奏したのだと書かれている。
この退役軍人はピアニストであったのかもしれない、と思わせる書き入れだった。
パデレフスキのせいもあってか、後輩のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)、クラウディオ・アラウ(1903-1991)の巨匠たちの演奏は、古時計が城の中で大きく響いている様子がありありと浮かぶ低音だ。
今でも受け継がれているのだろうかと思って、最近のピアニストの幾人かの前奏曲17番の演奏を聞いてみた。全く違った。城の中の古時計だと全く分からない演奏だった。本人たちは楽譜ばかり見て、過去のピアニストたちのことなど知らないのだなと思った。
古本から気づかされることは多い。なのでついつい、新刊本より古本へ目が行ってしまうのだ。