猫に数珠

 新年恒例の、高校時代のクラスメートの会合が自由が丘の蕎麦屋であった。

 隣に座ったS君が、昨年末12年飼っていた猫が亡くなったと、がっかりしていた。別邸として使っている亡き両親の郊外の家の庭の片隅に、50センチほどの穴を掘って埋めたところ、気づくと地面が掘り起こされ無残な猫の姿が露になって居たのだという。

「カラスの仕業だった」とS君。

 カラスは油断ならない。

 

 駿河台下の寿司店2階で開かれた勤務先の新年懇親会では、いつになく座が盛り上がり、弁護士をしている理事の一人が、座興でお経を朗々と唱えて皆を啞然とさせる場面があった。

 

 2つの新年会での出来事から、猫が死んだら、お経を唱えてやらないといけないか、とふと思った。確か、英文学者の福原麟太郎は17年連れ添った猫が亡くなった時、お経をあげたのではなかったか。

 「猫」(昭和23年)という随筆を読み返してみると、亡くなった猫のタマにお経をあげたのではなく、謡曲を謡ったのだった。

 

「ミカン箱利用の本箱を一つあけて、それに死骸をおさめ、仏壇の前に一日ねかして置いたが、いつまでもそうして置くわけに行かないので、お葬いをすることにした。お経が無いのは可哀そうだから、仏果を讃えた謡曲の一くだりをまず謡ってやり、仏壇の花を経帷子(きょうかたびら)の代りにかぶせ、前足へ数珠をかけてやって、南無阿弥陀仏と書いた蓋をかぶせ、墓地へ持っていって埋めてやった」

 

 仏果を讃えた謡曲とは、なんなのだろう。「隅田川」には、母がさらわれた子を探し求め、狂女となりながら、とうとう幻のなかで亡くなった我が子の声を聞く下りがある。その後にー

 「シテ    月の夜念仏もろともに 

  ワキ    心は西へ一筋に

  シテ/ワキ 南無や西方極楽世界、三十万億、同名同号阿弥陀仏

  シテ    南無阿弥陀仏

  地謡    南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 

 こんな箇所なら、ちょうどよさそうだ。

 

 それにしても、前足に数珠をかけてあげたというのは、すごいことだ。

 昭和6年に子猫として引き取り、戦時下、強制疎開で家を失い、友人宅に引っ越したのも、猫とともにだったという。空襲の下で、死ぬ覚悟で東京に残り、戦火と戦って、仕事を続けたが、猫も一緒に東京に留まった。戦争を潜り抜けたもの同士の連帯感に、人と猫の区別はなかったようだ。

 この英文学者は「数珠をしてゆけや三途も安らかに」の句も猫に捧げている。