榊原政職氏の遺著のこと

 夭逝した考古学者榊原政職氏の遺著が目の前にある。

 

 300頁を超える立派な「人類自然史」(内外出版、大正12年)。日本の石器時代人、文化の研究から、はるか世界全般の人類の研究に及ぶ著作であった。

 

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 前に触れた熊本県の轟貝塚の発掘の1か月後、血尿を訴え、発掘仲間の京都帝大医学部の清野謙次に相談し、泌尿器科の松本教授のもとで診察したという。腎臓の疾患。そのあと手術、転地と病魔との3年間の闘いが始まったのだった。

 

 その間、湘南で療養中に、書き上げたのが「人類自然史」だった。「私は榊原君の如き年少の学者が、参考書も不十分である湘南の保養先で、病気と戦ひつつ、(略)よくも是丈けの纏つた述作を、斯る境遇と年齢の下に成し上げたかを考へて、同情と感服の念とを禁じ得ないものである」と原稿を託された師の浜田耕作教授は述べている。この書が上梓される前に、榊原氏は22歳で逝去した。

 「単行本として近く発行するまでの運びになって居る。然るに其の世に出づるを見るに及ばずして同君は遂に逝かれたのだ。何といふ痛ましい事であらう」と喜田貞吉は記している。

 

 浜田、喜田、清野謙次が序跋を贈り、狩野直喜が題簽を書し、関野貞が表紙デザインを考えた。いずれも錚々たる学者たちが、榊原氏とその遺著に思いを寄せ協力したことが分かる。

 旧越後高田藩士榊原子爵の孫にあたり、小田原中学校を卒業後、大正7年から京都帝国大学考古学研究室に教務嘱託として従事したことが、この著作で分かった。

 すでに石器時代の知識を持ち、素人ではなかったと、浜田教授は振り返っている。

 

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 死の数日前に手紙をもらった浜田教授は、死期が二三日に近づいていること、可愛がっていた教授の小さな娘さんに「GOOD-BYE、SEIKO」とメッセージが書き添えてあったと書いている。「忘れ片身として精神をこめて残した此の小さい述作を、世間の人が同情を以て一読せられんことを希ふ」「而して其の真摯な努力の裏面には、学術に対する無限の憧憬と、悲惨な運命と戦った青年の熱い涙が流れてゐることを知って貰ひ度い」(浜田)。

 

 軽妙に書いていた薄田泣菫の小文がきっかけで若き考古学者に関心をもっただけなのが、京都の古書肆から届いた本を手にして、正直、身が引き締まる思いがした。