「祭猫文」の風流猫

 コロナウイルスのせいで、休日は引き籠る。

   細があくびしながら、テーブルの上で新聞を読もうとすると、猫は新聞の上に寝そべって邪魔をする。書室で私がパソコンをチェックする気配を感じ取ると、今度はこっちに飛んできてPCのキーボードの上に陣取って、邪魔をする。

 

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 することがないので、邪魔する猫の隙を縫って本を読む。以前から放っておいた各務支考「祭猫文」(風俗文選に収録)について、改めて考えてみる。

 

 芭蕉の弟子たちが、猫などの句や文章を好んで作っているのをチェックしているのだが、まったく進んでいない。

 支考の「祭猫文」の前書きは。 

 李四が草庵に。ひとつの猫児(めうじ)ありて。これをいつくしみ思ふ事。人の子をそだつるに殊ならず。ことし長月廿日ばかり。隣家の井にまとひ入て身まかりぬ。其墓を庵のほとりに作りて。釈ノ自圓とぞ改名しける。彼レをまつる事。人をまつるに殊ならぬは。此たび爪牙の罪をまぬがれて。変成男子の人果にいたらむとなり。

 

 出家して草庵に住んでいる李四は、猫の児を人の子を育てるように可愛がっていた。ところが、猫は旧暦9月20日ごろ隣家の井戸に迷い落ちて亡くなってしまった。猫の墓を庵の近くに作り、「釈ノ自円」という戒名をつけた。供養もまた人に対するように行ったのは、猫が爪や牙で行った生前の畜生の罪を免れて、人間の男に生まれ変わることを願ってだった。

 

 出家した李四というのは、李家の四男。「張三李四」といって、張家の三男同様、ありふれた名前という意味だという。どこかの誰べえさん。

 気になったのは、猫が長月=9月20日ごろ井戸に落ちたことだ。どうして、日にちを設定しているのか。徒然草に「九月廿日の比」という出だしの文章があるのだった(三十二段)。

 

九月廿日の比(ころ)、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり

 旧暦の9月20日ごろ、仲秋の名月のひと月あとの「後の月」を見に外を歩いた兼好法師の随筆だ。高位と思われる知人に誘われて、兼好は月見して歩き、知人に案内させられて女性の邸を訪れた。自然のままにした庭、よい香りが漂い、ふだんから趣ある暮らしぶりをしている女性に兼好は心惹かれる。帰るときも、扉を閉め切らず、しばらく独り月を眺めている女性の様子をこっそりと見て、女性の風流を褒めている。

 

 長月20日ごろ、猫もまた名月を鑑賞に夜の散歩をしていたことになる。井戸に落ちてしまったのは、猫が井戸に映った月の影に誘われたからだろう。「釈ノ自円」は、大した風流猫だったのだ。

 

「風流猫だったんだよ」と、うちのいたずら猫に言ってみる。