2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

オリエンタリカと白鳥庫吉論文

手元に、昭和23年8月発行の、「オリエンタリカ創刊号」がある。184頁もある、東京大学の東洋史学会編集の同誌は、錚々たる学者が力を込めて書いた論文が詰まっていて壮観でさえある。 戦後の東洋史のスタートを切る象徴的なこの学術誌は、しかし、東洋…

素晴らしきセーヌの河岸キョロ

東洋史学の大御所白鳥庫吉氏のパリ時代を、もう少し探ってみたいと思い「白鳥庫吉全集全10巻」を調べてみることにした。わが部屋には第1巻、2巻しかないが、どうやら10巻「雑纂他」に「ヨーロッパ通信(書簡)」があるのを知った。 コロナ禍で図書館は休み。古…

パンテオン会の「河岸きょろ」

随分前、歴史学者の三宅米吉の足跡を追って、米吉が22歳当時住んでいた小石川の伝通院境内へ貞照庵を探しに家族で尋ねたことがある。 貞照庵は跡形もなかった。 伝通院の墓地をめぐると、紫煙がもうもうと立ち上っている墓が2つあり、一つは幕末の志士清河…

早朝散歩と「犬の樹」

運動不足になっているので、天気が良ければ午前6時前後、川沿いの道を隣駅近くまで歩いて、戻ってくる散歩をしている。親子、夫婦連れでジョギングする人も、結構多い。 川岸の桜並木は花が散ってしまったが、ハナミズキの並木は咲き誇っていて、目を楽しま…

白秋の「群蝶の舞」

「多磨」は、白秋没後11年経って、終刊(昭和28年)となる。没後、編集人の名義は妻のキク(菊子)だが、編集担当は中村正爾、木俣修らの歌人が代わって行ったようだ。 昭和23年の1月号からは、木俣修から泉甲二に変わったのが、同号の「月報」で分かる。「…

白秋の絵と大正4年「雲母集」

北原白秋の墓は、多磨霊園にある。年2度の細の実家の墓参りで、周りの区画を歩いていて白秋の墓に出くわした。随分と大きな目立つ墓だった。 白秋は晩年、杉並・阿佐ヶ谷で暮らしていたようだ。白秋が発行していた短歌雑誌「多磨」。Y書房で手に入れた「多…

神保町散策と白秋の美術

神田神保町界隈を散策する。コロナ騒動の見舞いがてら、古本店Yに顔を出す。若きご主人は、「もう、土日は正月のようですね」という。近くの高層ビルで働く連中もテレワークで、通勤しなくなったよし。確かに人影はまばら。商売の方は?「ネット販売で凌い…

大正期「民族と歴史」の三越広告

ささやかながら手持ちの歴史、考古学系の学術雑誌の広告を調べてみた。 裏表紙の広告は、書籍の広告が大半だったが、4冊だけ違うものがあった。 「歴史地理」大正6年8月 大日本麦酒(株) 「民族と歴史」大正9年12月 三越呉服店 大正11年4月 三越呉…

考古界とライオン歯磨

旗を持って立っているライオンのイラスト。明治34年(1901)の「考古界」の裏表紙に、ライオン歯磨の広告が掲載されていた。 ライオンといわれればライオンだが、ライオンらしからぬライオンの姿だ。日本の動物園でライオンが飼育されたのは、上野の恩賜動物…

明治34年の「考古界」

前に触れた明治時代の考古学、人類学の学者若林勝邦氏、坪井正五郎氏らの当時の活動ぶりを知りたくて、明治34年に発行された学術誌「考古界」を古本店から取り寄せた。 同誌は明治28年に設立された「考古学会」の機関誌。設立に奔走した若林氏、三宅米吉…