考古界とライオン歯磨

 旗を持って立っているライオンのイラスト。明治34年の「考古界」の裏表紙に、ライオン歯磨の広告が掲載されていた。

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 ライオンといわれれば、ライオンだが、ライオンらしからぬライオンの姿だ。日本の動物園でライオンが飼育されたのは、上野の恩賜動物公園で、明治35年1月。ドイツのハーゲンベック動物園から運ばれたバーバリライオンの雄雌2頭だった(国立博物館表慶館の2頭のライオンはそれがモデルではないかと前に推定した)。

 その1年前の歯磨き広告に登場したライオン像、イラストレーターは実物のライオンは見ていなかったようだ。

 

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 この広告には「ライオン歯磨慈善券付袋発売」と印刷されている。これはなにか。クリスチャンで知られるライオンの創始者小林富次郎氏(当時は小林富次郎商店)は、マッチ製造で失敗後、東京本郷の弓町本郷教会で海老名弾正牧師と出会い、歯磨き粉の製造を教わった。マッチから歯磨き粉へ。明治29年獅子印ライオン歯磨を発売した。

 これまでなかった新製品は大ヒットとなり、明治33年には月に100万個売り上げたそうだ。これを機に、富次郎氏は歯磨きの袋(3銭に限る)に「慈善券」を印刷し、消費者が慈善団体に空袋を寄付すれば、1個1厘で販売店が買い戻す仕組みを作った。現代でいえば、ベルマークに似ている。日赤や救世軍に多額の寄付金が行き届いたという。

 

 しかし、考古学会の学術誌になぜ、ライオン歯磨きの広告が掲載されたのだろう。学術誌には出版社以外の広告は珍しい。

 頭をよぎったのは、小林富次郎の父母の実家が、上越市であったことだ。富次郎は現在のさいたま市与野で生まれたが、4歳から16歳まで、酒造業、漁業を営む上越市柿崎区海浜の実家で育ったという。上越市柿崎区は、旧越後高田藩内である。

 旧越後高田藩出身といえば、考古学者・若林勝邦氏が、考古学会の理事で、「考古界」の編集スタッフだった。若林氏は、幕臣とされてきたが、国学院大のスタッフが考古学者柴田常恵氏の残した記録を発掘し、越後高田藩出身だったことを再発見した。

 明治時代、越後高田藩出身の学者に榊原政職氏(考古学)、関野貞氏(建築史)、それに若林氏がいたことを記してきたが、それとともに、広告という形で、同郷の小林富次郎氏が考古学徒を援助していたのではないか。

 若くして亡くなった若林氏が、小林氏から広告支援を取り付けた可能性がある、と想像してみた。考証はこれからだが。