大正期「民族と歴史」の三越広告

 書室でささやかながら手持ちの歴史、考古学系の学術雑誌の広告を調べてみた。

 裏表紙の広告は、書籍の広告が大半だったが、4冊だけ違うものがあった。

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 「歴史地理」大正6年8月  大日本麦酒(株)

 

 「民族と歴史」大正9年12月  三越呉服店

        大正11年4月  三越呉服店

        大正11年10月 三越呉服店

 

 一般の雑誌と比べ、発行部数は少なかったはずで、よく広告を出したものだと思う。

 

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 大日本麦酒は、明治39年(1906)に、サッポロ(札幌麦酒)、エビス(日本麦酒醸造)、アサヒ(大阪麦酒)の3社が合併して作られた会社で、当時70%ものシェアがあった。

「御愛飲を乞ふ  国産ビール エビス・サッポロ・アサヒの三種あるのみ」

というコピーは、ライバル大手のキリン(麒麟麦酒)を意識したものだ。

 

 キリンは、前身のジャパン・ブルワリー(横浜本社)以来、ドイツ人技師によるドイツ産原料を用いたビールを志していた。大日本麦酒から合同に参加するように提案があったが、流通を担当していた明治屋が三菱・岩崎家に支援を依頼し、翌40年(1907)「麒麟麦酒」を設立、大日本麦酒に対抗していた。

 

 大日本麦酒は、三井系のエビス(日本麦酒)が率先して合同をまとめ上げただけに、ビール業界での三菱系と三井系の対立の様相が伺える。

 

 歴史学者喜田貞吉が中心となって編集していた「歴史地理」に、どういう経緯で広告をだしたのか、はっきりしない。

 

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 次の「民族と歴史」は、喜田貞吉が個人で運営する学術誌だった。ここには、三井系の「三越呉服店」の広告が掲載された。「冬の御支度」「博覧会と三越」「五拾銭の商品券」など、号ごとに変えた広告を出していたようで、それはそれで読むと興味深い。

 

 三越呉服店は、学術雑誌に広告を掲載して、効果を期待したとも思えない。雑誌広告でなにがしかの支援をしたと考えるのが妥当だろう。

 

 「歴史地理」「民族と歴史」と、三井側が広告をだしたのは、喜田貞吉ゆえと考えられる。学者と財界人、文化人らの集まり「集古会」で、三井財閥の基礎を作った実業家、茶人の益田孝(鈍翁)と喜田の接点はなくはない。あるいは、エビスの社長で三井物産の重役だった馬越恭平とつながりがあったかもしれない。

 

 喜田貞吉は、学者、編集者としてばかりか、雑誌経営の能力が高かったのではないか。別の顔を伺わせる一連の広告だと思う。