2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

日比野士朗を読んでみる

日比野士朗という作家を知りたくなって、昭和14年の作品「呉淞クリーク」を読んだ。2000年中公文庫で発行されていたのだ。呉淞はウースンと読む。 一気に読み終えた。昭和12年、上海近郊で繰り広げられた日中戦争の激戦の様子が、ルポルタージュのよ…

昭和21年「東北文学」と「第二芸術論」

神保町の古書店から買い込んだ雑誌類が読みきれない。史学の雑誌、民俗学の雑誌、俳句誌、総合誌と混ざっているので、思考があっちこっちしている。 思いがけない発見は「東北文学」の昭和21年2月発行の第2号だった。著名な文学者が多数東北に疎開しているこ…

大老酒井忠清の計画

生類憐みの令の実態がいまひとつ分からないので、いくつか本を探して読んでいたところ、興味深い事実に行き当たった。 5代目将軍徳川綱吉が誕生したのは、将軍家綱の後継の発表前夜、老中の堀田正俊が幕閣を出し抜いた策略によるものだった。すでに、人事は…

本所のさざえ堂について

江戸時代に賑わった東京・本所の羅漢堂について、阿蘭陀油絵が文化年間に展示されたことから、「見世物寺院」だと前に書いた。 木造の二重螺旋建築「さざえ堂」には、100体の観音菩薩を並べ、回遊式の東西羅漢堂には五百羅漢を据えて、歩きながら、お参り…

嵯峨の長慶天皇陵

この夏の京都のひとコマ。JR嵯峨嵐山駅前のいのうえで夕食を取り、嵐電嵯峨駅から、京都の四条河原町に戻る時、嵯峨野の寺の副住職に 「ちょっと面白いところがありますから見て帰ってください」 といわれ、深まる夕闇の中、連いて行った。 踏切を越えて、…

生類憐れみの令と猫の句

芭蕉の門下に、猫や鼠の俳文や句が目立つというのは、徳川綱吉の「生類憐れみの令」と関係があるのだろうか。 芭蕉は元禄七年に没したが、弟子の蕉門十哲は、杉山杉風を除き2-30代で元禄を迎え、元禄末の17年に丈草が没したが、9人はさらに長く生きて…

やっと分かった節分の「ごもっともさま」

前に書いた後、ほっぽらかしていた件もあって、三峯神社に参詣した。 京都の町屋で、節分の豆まきの際、「ごもっとも、ごもっとも」と周りで唱和されることと、秩父・三峯神社での節分行事に「ごもっともさま」と声をかける「ごもっとも神事」が残っているこ…

夏の終わりの三峯オオカミ

夏の終わりに秩父の温泉宿に細と泊まり、帰りに三峯神社に参詣してきた。 お犬さま、山犬さまとして、オオカミを信仰する御眷属信仰の神社なので、狛犬に代わり「大口真神」=オオカミの阿吽2体が境内を守っていた。 いくつかある大口真神の中に、「神田市…