「猫多羅天女」について書いた鳥翠台北茎についてもっと知りたいと思ったが、金沢の俳諧師であることしか分からない。
「北国奇談巡杖記」には、加賀国の、十人が橋に居ても九人しか水に映らない「九人橋の奇事」や、殺され沼に沈められた老僧の叩く鉦鼓が夜な夜な聞える「鉦鼓の淵」などの怪談や、越中国に残る民謡「こきりこ」の貴重な記述「神楽踊筑子唄譜」などが書き残されている。
俳諧師だけに「奥の細道」で北陸を旅した松尾芭蕉の痕跡もいくつか記している。
興味深いのが、曹洞宗大本山・永平寺の方丈に残っていたという松尾芭蕉の句についての話だ。方丈に、額が掲げられ、雲竹の書で次の文字が書かれていたという。
雲竹書
その字の横に、
西にて風来舎 東は桂男子
と書き添えられていたという。
上の字は「風月」であり、そのヒントが「風来舎」と「桂男子」ということらしい。伝説では桂は月に生える樹なので、桂男子は月の男子ということになる。
西に風来坊、東に月の男子が向かい合う。
芭蕉が五七五でしめした答が、「月と風 裸にしたる 角力かな」
風という字から「几(かぜがまえ)」を取って、裸にすると「」。
同じように、月という字から、「」を取って裸にすると「冫」(にすい)。
月と風が裸になって東西に分かれ、角力をとる姿がこのの字であるというわけだ。
芭蕉にこんな頓智が利いていたら面白いのだが、「奥の細道」を見ると、元禄2年葉月永平寺に参拝し、門前町に住む隠者等栽と再会。等栽宅で2泊した後、ともに月を愛でるため敦賀の港に向ったと記されているだけだった。風流の人ではあるが、なぞなぞとは無縁だったようだ。