空飛ぶ猫多羅天女

 空飛ぶ猫、空飛ぶ化け猫の話が江戸時代の後期に書き残されているのを知った。

 

 文化年間(1804-1818)に刊行された鳥翠台北茎(ちょうすいだい・ほっけい)「北国奇談巡杖記」に、「猫多羅天女の事」という話が掲載され、空飛ぶ猫が出てくるのだ。

 

 その話をざっと記すとー。佐渡雑太郡小澤に老婆が住んでいた。夏の夕べ、山に涼みにいくと、老猫がやってきて地面をゴロゴロ転がった。婆も真似てみると、涼しく感じられて気持ちがいい。老婆は毎日山にやってきては、老猫と一緒にゴロゴロ転がった。するとどうだろう、婆はやがて体が軽くなり宙に浮き、自由に空を飛べるようになったのだった。

 

 ただし、飛行術を覚えた老婆は、頭髪が禿げた後、体中に毛が生え、凄まじい化け猫の形相に変わっていた。ゴロゴロと雷鳴を発しながら、婆は遠出して海を越え対岸の弥彦山まで飛んで来た。気に入ったのかそこに居座り、大雨を降らし続けた。

 困ったのが弥彦の住民。佐渡から飛んできた婆を恐れて、「猫多羅天女」の祠を作って祀り、なんとか婆の暴威を抑えたのだった。

 弥彦に住み着いた婆は年一度だけ、佐渡に里帰りをし、その時もまた雷鳴を轟かせながら飛んでゆくのだった。

 

「空飛ぶ猫」というのが私は面白いと思う。

 化け猫の話には、踊ったり、人語をしゃべったりする猫は出てくるが、飛ぶ猫は聞かない。

 この話が生まれた背景を想像してみた。風の神と関係があるかもしれないと。

 新潟には風の神「風の三郎」の信仰が盛んだった。旧暦6月27日(新暦7月下旬)に風の三郎の祠を作って、風除けを祈願するというものだ。台風シーズンを控え、農作物の生育を心配する農民が、被害を齎さないように風の神に祈るわけだ。

 悪さをする風の神を三郎と呼んで具象化、イメージ化している。岩手生まれの宮沢賢治の作品「風の又三郎」の東北地方の風の神ともつながっているようだ。

 

 化け猫伝説が風の三郎と合体して生まれたのが、空を飛ぶ「猫多羅天女」なのではないか。弥彦神社でも風の害から農作物を守る風祭が、台風シーズンの二百二十日に実施されている。

 弥彦神社の隣の宝光院には、今も「弥彦の鬼婆」が住んでいたという婆婆杉が残っていて、鬼婆が回心してから呼ばれるようになった「妙多羅天女」の説話が伝えられる。「猫(みょう)多羅天女」が「妙多羅天女」に変わったのだった。

 

 鬼婆が妙多羅天女になった話は山形県置賜郡高島町にもあった。息子とともにお家の再興をはかる武家の未亡人が息子の留守中に悪病に冒されて、旅人を襲う鬼婆となってしまった。戻った息子も襲われたが、鬼婆の手を切り落として無事に家に戻ると、母は寝込んでいた。母は息子が持ち帰った鬼の手を奪うと、弥彦山に向って行ったという。息子は憐れんで母を「妙多羅天女」として祀った。その息子の名は弥三郎。

 三郎、弥彦山、鬼婆…。「猫多羅天女」「妙多羅天女」の話はつながっているように思える。

 

 私には猫と一緒に土の上でゴロゴロと転がった佐渡の老婆の姿が無邪気で好もしく思える。飛行術を得た時も至福の一瞬だったと、物語の中の婆を想像する。だが明るい話は一転し、婆はその代償として、「風の三郎型」の化け猫に変身してしまうのだった。

 

 うちの猫もゴロゴロしている。まねてみようか。