鞍馬山の領収書印

 

 神田には、関東大震災直後に建てられた古い建築の居酒屋があり、昼を食べに行く。

 高い天井の下、土間に据えられた大卓で、焼き魚などを食べる。

 昼は静まり返っていることが多い。

 

 コロナ自粛の前は、夜は酔客であふれ、店外に列が出来るほどだ。近くの蕎麦店で飲んでいた時、フランス人男女の観光客が蕎麦屋に入ってきて、「この店は近くですか?」とその居酒屋までの道順を聞かれたことがあった。なんでここに入って聞いたのか尋ねると、「店の外観の雰囲気が似ていたので、多分知っていると思った」とのことだった。

 ちゃんと行けたか気になったので、蕎麦屋を出た帰り、居酒屋を覗いてみると、畳の部屋にちょこんと坐って、日本人客と馴染んで、日本酒を飲んでいた。

 

 その居酒屋の領収書印がずっと気になっていたので、きょう、思い切ってご飯をよそってくれているおかみさんに聞いてみた。

 

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「なんでお店の印が、鞍馬山のハンコなんですか」

「あはは、あれは京都の鞍馬山に行ったときに、父がお土産で買ったものなんです」

 店の領収書印は、店が使っていると分かればどんなハンコでもいいのだという。それで、鞍馬天狗鞍馬山―。

「えっつ、ハンコのことを聞いてくるの、お客さんが初めてですよ」と不思議がられた。

 

 領収書をよく見ると、「鞍馬山福寿印」とある。福寿印ってなんだ。鞍馬山には、鞍馬七福神を祀る社が5つあり、その中に「福寿星神祠」がある。福禄寿と寿老人を祀っている。ハンコはきっと、この祠の御利益に関連したものだろう。領収書を受けとる方も縁起が良い。

 祠は鞍馬寺本殿金堂に至る九十九折参道に、他の七福神らのものとともに建っているのだった。汗かきかき苦しんで登った記憶しかない私は、祠のことなどは覚えていない。

 

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 印は、「馬」の書体が馬の絵のようで面白い。いまでも、土産売り場で売っているのだろうか。

 旅行もままならず、久しく行っていない京都が妙に恋しくなった。