江戸時代に「酒屋の猫」という童歌があった。今は歌われていない。
〽人まねこまね
酒屋の猫が
田楽焼くとて
手を焼いた
文化9年申、長二楼乳足(ちょうじろう ちたり)の洒落本「世界諸事花の下物語」の自序に、この歌をもじった文章があると、山中が指摘しているもので、文化9年=1812年に、この歌が江戸で流行っていたことがわかる。
酒屋の猫が、人の真似をして、田楽を焼こうとして前脚を焦がしてしまった、
というユーモラスな内容だ。
「おでん博物館」さんのHPを拝見すると、
宝暦年間(1751-1764)、江戸で田楽、餅、煮しめを売る店が現われ、天明5年(1785)の大飢饉をきっかけに、さらに飯屋、居酒屋、茶漬屋、うどん屋、うなぎ屋、団子屋、蕎麦屋と、いっせい食べ物屋が登場したのだという。
田楽豆腐も、豆腐ばかりか、茄子、里芋、蒟蒻、魚を串に刺したものが現われた。
童歌「酒屋の猫」は、田楽豆腐を酒屋が店先で焼いて売っていた情景が浮かんでくる。酒屋では鼠を捕るために猫を飼っていたのだろう。
猫が手を出したのは、魚の田楽だったかもしれない。
1800年前後、江戸で猫の生態に関心がもたれ始めたのではないか。
この年、こんな猫の句を作った。
耻入って ひらたくなるや どろぼ猫
火の上を 上手にとぶは うかれ猫
恋猫を表現しているのだろうが、童歌「酒屋の猫」と同じような市井の猫。
泥棒猫も田楽どろぼ猫と解釈してみたくなる。
猫の子が 手でおとす也 耳の雪
紅梅に ほしておく也 洗い猫
長野に帰郷後、一茶は、恋猫以外にも猫の生態に目をつけて、印象的な句を沢山残した。
江戸の子供たちが歌った童歌「酒屋の猫」のことを頭の隅に置いてみると、豊富な一茶の猫の句の時代背景がうかがえて面白いのでは。
