金危危日の猫の絵

 花冷えの午後、神田神保町の外れにあるY書房の前を通ると、若いご主人が外で寒そうにしていた。
 声を駆けると、「締め出されてしまって」。
 
 事情を聞くと、昼休みに店のシャッターを半分閉じて内側から鍵をかけ、脇のビルの玄関口から出たはいいが、階上の大家さんも外出し、玄関口の鍵をかけてしまったのだった。
 
 気の毒なので、店外に置いてあったダンボール箱の古雑誌を手に取りながら、少し話した。
 
 猫の絵が描かれた表紙をまた見つけた。前に俳句雑誌「笛」の猫の表紙に出会ったばかり。
 
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 昭和21年の「雑談」という雑誌だった。蹲った猫は、前足の爪を立てている。表情が人間のようでコミカルだ。目次を見ると、文人画家の富岡鉄斎(1837-1924)の大正5年の絵だった。
 
「雑談」は敗戦の翌年に創刊された同人誌で、編集、出版人は劇作家、随筆家の高田保だった。雑談会の同人13人の名が、奥付の上に大きな活字で並んでいて、著名な作家、俳人、画家、実業家ばかりだった。渋沢秀雄久保田万太郎、水原秋櫻子、小島政二郎、佐々木茂索・・・。
 
 同人の画家2名、益田義信、宮田重雄(国画会会員、医師、俳優)が、ともに梅原龍三郎に師事していたので、梅原が影響を受けた文人画家・鉄斎を敗戦直後、あらためて引っ張り出したのだろう。
 
 この猫は、書物を齧る鼠を、被害から防ぐ役割の「猫の絵」だった。
正月初五日を金危危日といい、この日に猫を描くと、鼠を鎮めることができる(火除け、生財にも効き目がある)」という中国の言い伝えをもとに、鉄斎は鼠ににらみを利かせた猫を描いたのだった。
 爪を立てているのも、日光東照宮の左甚五郎の眠り猫と一緒で、いつでも飛びかかることができる態勢なのだろう。
 
「早く大家さんが帰って来るといいですね」と挨拶して、雑誌を手に急ぎ足で事務所に戻った。