表慶館のライオン像続き

 東博狛犬型ライオン像について、新たに分かったこと。
 
○仮説 ライオン像は、主として沼田一雅氏が上野動物園のハーゲンベック動物園から購入したライオンを参考に造形した。
 
 正しいか、間違いか。
 
1)ライオンは上野に不在だった
 
 ライオン2頭は、明治35年1月に上野動物園で公開され人気を呼んだが、同39年に京都市紀年動物園に、1500円で引き渡されたため、ライオン像が披露された同42年当時、上野動物園にライオンは不在だった。
 
2)沼田氏は留学以前に見ていた可能性はある
 
 沼田氏は、明治36年から同39年までフランスに留学しており、ライオン像の依頼を受けたのちは、京都の動物園でしか、ライオンをみられなかった。ただし、同27年から同35年までは、上野の東京美術学校鋳造科で助手、助教授を務めていたので、留学前の同35年に上野動物園で評判のライオンはみていた可能性は否定できない。
 
巨大なバーバリ・ライオンである
 
 ハーゲンベック動物園から購入したライオンは、北アフリカ産の巨大ライオンのバーバリライオンであった。東博のライオン像も見事なタテガミに、その特徴をうかがわせる。
 
4)沼田氏は動物像を得意とした
 
 沼田氏は、陶による彫刻を広めるために生涯を捧げた。陶による作品に動物、人物像が多く、何点かの象の作品がある。獅子像には、狛犬のように鞠を両前足で抱えたものがあり、あるいは、狛犬型も、沼田氏のアイディアであった可能性もある。
 
 日本陶彫会のホームページにある、沼田一雅さんの作品
 
 
 
5)大熊氏広氏にも躍動的な馬の表現がある
 
 数多くの人物像をのこした大熊氏は、動物像をのこさなかったわけではない。騎馬像も制作しており、躍動的な馬の表現からすると、動物作品でも力を発揮する技量の持ち主だった。
 
 まだまだ、核心に近づけない。
 
 大熊氏と沼田氏が一緒に、ライオン像を手掛けた。狛犬のように阿吽の形式をとることを決め、ライオン像を仕上げるにあたって、当時、上野や京都で人気のバーバリ・ライオンも参考にした可能性がある。ああ、まだ、こんなことしかいえない。
 
 東博表慶館には、別のライオン像らしきものがあった。
 
 イメージ 1
 
  アップしてみると、
 
  イメージ 2
 
  炎の容器を支える3頭のライオン像(らしきもの)にみえる。
  一本足の姿をしている獣。
 
  これは、ROMAN TABLE SUPPORT
   ローマ時代の、テーブルを支える獣像の脚を模したものだろう。
   ライオンや、翼をもったグリフィン像の脚もしられる。
   TRAPEZOPHORON  というようだ。
   表慶館を飾るこのデザインは、設計した片山東熊の指示だったのか。
  ただし、当初の設計図には、えがかれていないようだ。
 
          
 ハーゲンベックからやってきたライオン夫婦は、京都に移って4年後、4頭の子ども(雌雄各2)を生んだ。雄の一頭は檻の外に転落したが、見事、人工保育で育てたという。飼育員もすごいが、よほど、元気なライオン一家だったのだろう。