猫のいる古レコード店にまた出直して、買い物をしたが、レコードもストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」(Le Rossignol)など買って帰った。
アンデルセンの原作を元に、ストラヴィンスキーが作曲した3幕の短いオペラだ。
LPのジャケットに、狛犬が描かれていて、興味をもった。マチス作「うぐいすの歌」(Le Chant du Rossignol)のカーテン、と記されていた。「うぐいすの歌」はバレエの舞台で、オペラ「夜鳴きうぐいす」(1914年初演)をもとにストラヴィンスキーが手を入れ、後にディアギレフ主宰のロシアバレエ団がパリで上演したものだ。
おそらく、この絵は、同バレエのパリ公演時の舞台緞帳の下絵だと思われる。
ディアギレフは、当時ピカソ、ドランとともに、マチスの才能に目を付け、1920年のパリ公演にあたって、マチスに舞台美術を1万フランで依頼している。その時に、舞台美術の一環でマチスがデザインした舞台幕がこの狛犬だったようだ。
第1部:中国の宮殿の祭
第2部:2羽のうぐいす(本物のうぐいすと機械仕掛けのうぐいす)
第3部:中国の皇帝の病気と回復
中国の皇帝が、宮殿でうぐいすを愛でていたが、日本からの使者が機械仕掛けのうぐいすを持ってきたため、珍しいからくりのうぐいすばかりを聞くようになる。本物のうぐいすは宮殿から逃げてしまい、やがて皇帝は病気になってしまう…。
中国の宮殿の左右の守護獣として、マチスが石獅子を描いたつもりなのだろう。ただし、正面を向いた1対の石獅子は、どうみても日本の狛犬である。中国の石獅子は、東京国立博物館の東洋館前の北京のものや、沖縄・首里玉殿の屋根の江南地方の形式のものが知られるが、マチスの像とは違っている。
マチスには和服姿の夫人を描いた「着物を着たマチス夫人」などの作品があり、能面も所有していたという。マチスは、石獅子を描くのに、日本の狛犬をモデルにしたようで、図らずもマチスの日本趣味を伺わせることになったといっていいのではないか。
思い出したので、祖父の遺品の小物の銅製の狛犬を探し出した。戦前はこんな小物が作られていたようだ。