狛犬風、表慶館の2頭のライオンについて

 東京国立博物館に「みちのくの仏像」展を見にいった。展示物が少なかったので、構内を散策する。
 表慶館は3月下旬からの展示の準備でしまっていたが、
 
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玄関前を守護しているライオン2頭を観察すると、
右手は、口を開き、
左手は、口を閉じていた。
 
そう、「あ・うん」「阿吽」。
 
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 仁王像や、狛犬と同じように、ライオンが門番をしている姿なのだった。
 一服しながらスマホで、検索すると、東博のHPに、明治41年(1908)に片山東熊の設計で、表慶館がたてられ、正面のライオンは、2人の彫刻家によってつくられたことがわかった。
 
大熊氏広(1856-1934)
沼田一雅(1873-1954)
 
 大熊は、岩崎弥太郎の援助で欧州留学し、大久保利通やら大村益次郎像など肖像を手掛けた。
 沼田は、フランスに留学し、セーブルで陶磁器を学ぶ一方でロダンにも師事した。
 
 2頭のライオンは、2人が手分けしてこしらえたのか。
 
1)一対のライオンは、同じような毛並みで同じような表情をしている
2)当時52歳の大熊は、元勲や経済人の肖像彫刻の草分けとして一家をなしていた。
3)17歳年下で35歳の沼田は、2年前にフランスから帰国し、当時、東京美術学校雇員(翌年教授)だった。
 
 あれこれ推測すると、監修大熊、制作沼田、のような形を取ったのではないか、と想像してみたくなる。
 
 狛犬代わりの一対のライオンのアイディアは、大熊、あるいは設計の片山のもので、ライオンは、沼田が造形したのではないか。 
 まるで、大熊が独りでこしらえたような、HPの記載もあるが、それでは沼田がすくわれない。
 象徴=威厳とか王者とか=としてのライオンではなく、動物園で観察したようなライオンの生態をとらえている、とおもう。
 
 近くに上野動物園がある。
 
 明治15年にできた動物園は、明治35年(1902)に、独ハーゲンベック動物園から動物を購入して、充実する。とくに、ライオンが人気を博したと、動物園のHPに出ている。
 
 東京美術学校東京芸大)に勤める沼田が動物園でライオンを観察して、こしらえた、という仮説を立ててみた。
 資料探しをしてみれば、すぐ結果がわかりそうでこわいが、表慶館ライオン像に、ハーゲンベックから来たライオンの面影が残されていると、勝手に想像するのは楽しい。