今年は京都でも紅葉は駄目だったと、久しぶりに会った嵯峨野の寺の息子さんが言った。
我が墓のある、その寺には、句碑が沢山ある。
「丹波二泊」と言われていた兄弟は、今では、あまり一般には知られてない。
兄弟の実家は、嵯峨野から山を越えた丹波にあり、造り酒屋を経営していた。
長男の泊雲は、家業を継ぐのをいやがり家出を何度もする。
神戸から米国渡航など企てるが、連れ戻され、精神衰弱となった。
弟の泊月が俳句を作っていたので、高浜虚子に紹介し、泊雲も熱中して立ち直る、そんな経緯があった。
泊雲で知られている句は、
掘り返す土くれ光る穀雨かな
冴え返り冴え返りつつ春なかば
土間にありて臼は王たり夜半の冬
あたりだろうか。
選句もしてホトトギスの編輯に係った泊雲を、芋銭が尋ねてゆく。
丹波が気に入って、1週間芋銭は泊雲の世話になる。
これを機に、2人は心底仲良くなる。
驚くべきは、やがて、泊雲の娘さんが、芋銭の三男と結婚、泊雲の長男もまた、芋銭の末の娘さんと結婚して、親族となってしまう。
そんなことって、あるのか、と思う。
水戸の近代美術館で、芋銭の作品「海島秋来」を間近に見た。
強い個性に欠け、社会性に欠けるという印象なのだろうか。
今読み直すと、かけがえのない丹波の風土が描かれている、としか思えないのに。
嵯峨野の句碑は
明月や葎のなかの水たまり
葎=むぐらは 雑草の茂み、のことだろう。
泊雲の実家の銘酒「小鼓」は、今も評判の酒である。
泊雲を調べ、やがて芋銭を調べたら、僕の好きな、漫画家ますむらひろしの、猫の絵の原形のような作品を芋銭が残していることも発見できた。
嵯峨野の寺から発して、まだまだ、見えてきたことがある。
(続く)