国吉清尚さんの後、楽しみな中田さん

 僕は、焼き物のことは素人だし、好きなものしか買わないし、豪華なものは買えないし、買ったものは、必ず使うことにしている。
 
 随分と昔、平和通りがもっと活気があったころ、偶然、大見屋さんという陶器店に入り、国吉清尚さんの焼き物を見つけて、欲しくなって、安価な小品を1点買った。
 
 次に那覇に行った際も、店に寄って、1点買った。
 
 店の話では、国吉さんの作品の点数が少なく、資金をストックして置いて、国吉さんが窯を焚くという情報が入ると、買いに飛んで行くと言っていた。
 
 突然作家が亡くなった後、店で、展示していない作品を出して貰い、「これ3万円で売ってください」と、此方から値段を言って、徳利を購入したのを生々しく覚えている。その時、おまけです、と店から貰ったのが、径4㌢ほどの小さな盃だった。
 
 沖縄では、下戸の人も付き合いで飲まなければならないケースが多々ある、そういう人は、この小さな盃を持っていて、これに注いでもらって飲むんです、とのことだった。
 
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 下戸ではないけれど、ありがたく頂戴した。
 
 今回の旅行で、店に寄ると、国吉さんのオブジェが展示してあって、棚にこの小さな盃が3、4点あって、1点1万円の価格がついていた。30万円の皿もあった。
 
 ああ、もう本当に、国吉さんの作品は僕には買えなくなってしまったのだ、と思った。
 
 この4月に、おもろまちの県立博物館、美術館で国吉清尚展が開催されて、大入りだったという。その時の立派なカタログを店で見せてもらったので、翌日美術館に電話すると、売り切れて在庫もないとのことだった。NHK日曜美術館の国吉さん特集の影響で、県民の評価が一気に高まってしまったらしい。
 
 今回それでも、よかったのは、国吉さん同様、焼締の新たな作家の作品がたくさん店で売られていたことだった。中田栄至さんという作家だった。
 
 焼締は、沖縄では「なんばん(南蛮)」とか「荒焼き」といわれる。柳宗悦によると、壷屋焼を、有釉の「じようやち(上焼)」、無釉の「なんばん」、骨壷の「じいしいがみ(厨子甕)」の3種に分けている。
 
 国吉さんは、「なんばん」で、日常の雑器、オブジェと、可能性を広げる仕事をした。中田さんも「なんばん」で、なにものかを作り続けている、と店で感じたのだ。
 
 以下が、中田さんの日常雑器。
 
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 これだけ買って、合計、国吉さんの「小さな杯」を少し超える程度の価格だった。国吉さんの、厳しいほどの、フォルムの美しさは、望むべくもないが、沖縄の土の味わいを求めて、自然釉の色美しい作品を手がけているように思えた。
 
 店を出る時とき、「国吉さんの作品を大切に扱ってくださいね」と店の方に言われた。今でこそ、国吉さん、国吉さんだが、こういう店が長年、応援していたことを忘れちゃいけない、ということも、あらためて思った。
 「もちろん、大切に使います。(中田さんの作品もね)」。カッコの中は心に秘めた。