猫と花瓶を巡るたたかい

 我家の猫はノラだったせいか、飼い主の私達以外には心を許さない。息子の家族もダメで、玄関でピンポーンとなると、押し入れなどに隠れてしまう。孫娘が探し出して触ると、猫は緊張して目を瞠り、後ずさりする。

 最近は、夕食を息子一家4人で食べに来ることが増えた。猫はその間、息を潜めてどこかで隠れている。

 

 孫たちが帰った後、玄関でガシャーンと音がした。猫がまた花瓶を落したのだ。これで4回目。破片を掃除しながら細は大声をあげている。逃げてきた猫は身を縮めながら、細からお説教を浴びている。目は合わせず、どこぞを見ている。

 孫たちを可愛がる我々の様子を長時間押し入れに潜んで聴いていて、嫉妬しているのだろうか。

 

 一度目はガラスの花瓶が被害にあった。破片が危険なので、細は陶器の花瓶に変えた。これが落された時、割れてなかったが、水を灌ぐとひびから漏れだした。3度目からは、割られても惜しくないものに変えたらしいが、それでも2回続いてカッカしているのだった。

 翌朝、出勤で出かける時、玄関の花瓶を見てびっくりした。とんでもない大きな甕が置かれていた。

「なんだこれは」

泡盛の大甕よ」

「こんなもの、ウチにあったのか」

「Yさんから貰ったでしょ」

 

 泡盛が3升が入るというが、中味を吞んだ記憶は全くない。

 撫でて見ると、どっしりとして、猫が踏ん張っても前足では落とせそうになかった。駆け上がって猫が勢いよく体当たりしても位置がズレるだけだろう。大甕に並々ならぬ細の決意が感じられた。

 しかし、こんな甕に会う活け花は限られるのではないか、と思ったが、猫対策で熱くなっている細の前では、口に出せなかった。

 

 この泡盛「瑞穂」は嘉永元年に首里で創業したという。米国のペリー艦隊は嘉永6年に突然那覇に現れて38日間滞在した。その時には瑞穂の泡盛は造られていたことになる。

 ペリーは首里の宮殿へ王子と王太后に表敬訪問を望むが、摂政はあの手この手で、合わせまいとかわしたことが、「ペリー提督琉球訪問記」に記されている。ペリーは音楽隊、水兵とともに宮殿に乗り込んで行くが、王子、王太后は姿を見せず、摂政が自分の邸で宴会を開きペリーらを接待する。

 琉球酒がその宴会で出てくる。「卓子の隅には箸を置き、真中には酒(サキ)を入れた土焼の徳利一箇を据えて、その周囲には樫の木の杯と、粗末な支那焼の盃と、同じく支那焼の無細工な匙と茶碗とが各四箇宛に置いてあった」

 サキとよばれるのは琉球酒の泡盛のことだろう。「最初に茶が出て、其の後から直ぐ仏蘭西酒の味がする酒の小盃が廻された」とあるが、宮廷料理の泡盛仏蘭西酒の味がしたのだろうか興味深い。あるいは交流のあった中国、あるいは薩摩藩から届いた酒なのか。

 一方ペリーは摂政に米理堅酒二樽(メリケン酒)と甜紅酒一樽を贈ったと書き残されている。米国の酒はバーボン・ウィスキーに違いない。甘い紅の酒は、日本への長い航海の途中立ち寄った大西洋のマディラ島の甘いマディラワインのことではなかろうか。

 さて猫の対策はどうしたものだろう。遊ぶ時間を増やしてなだめるしかないのか。