名無しの猫を追いかけて

 二葉亭四迷が溺愛した名無しの猫は、その後手掛かりがないので、一旦探索は終わりにすることにした。

 



 二葉亭が猫を愛する一方で、俳句も盛んにつくっていた発見もあった。猫と俳句、夏目漱石とこの点でも似ていた。

 ベンガル湾航海中に客死してから5年後、二葉亭の俳句草稿を高浜虚子が目を通した時の文章が残っていた(「二葉亭主人の俳句の草稿を見る」大正2年6月)。

 二葉亭全集4巻に収録する俳句草稿を事前に見て、その印象を綴ったものだった。四迷、虚子と双方と親しかった漱石が介したのかもしれない。

 黄の表紙が付いた赤い罫のある唐紙の小本(草稿)には、薄墨で200句たらず俳句(連句もあり)が記されていたという。

 さらに、芭蕉「猿蓑」「続猿蓑」の連句の一部を注釈したものを発見した虚子は、四迷の俳句に対する熱意に驚いている。「露の文学の紹介者たる主人が意外にも俳句に対する斯んな深い興味を持ってゐたという事を面白く思ふ」と。

 

 簡単には他人の俳句を褒めない虚子は、四迷の俳句についても、「私はここに二葉亭主人の作句の技倆や註釈の当否を論じようとは思はぬ」と、距離を保っている。

 

 むしろ、「俳句以外のものをも見逃すことが出来なかった」と次のような書付を紹介している。

 

 をかしき人(こころ魅かれる人の意だろう)

    むざうさ(無造作)に あぐらかきたる人

    つくねんと うずくまりたる人

    我事をわすれたる人

    をさな児と無心にあそぶ人

    妻めづる人

 おもふことなくてゐたる一時ことにめでたし

  

 二葉亭主人が、ぼんやりと時を過ごしている人に心惹かれ、思い煩うことのない無私の境地に至福の時を感じていたことが伺える。(これも、漱石の「則天去私」と通ずるのではないか)

 

  我上ばかり物語りて人の話を耳にも入れぬ人うるさし

 

  自己顕示の激しい、心づかいのない人を嫌ったようだ。

 

 さらに続けて、

 よろづの事を打忘れて吾妻とさしむかひて罪のなき事をむつまじく物語りゐる、はたより見ても羨ましきものなり、… と夫婦愛をうらやんでいる。

 

 草稿は、晩年の7、8年間(1902-1908年)のものらしい。

 

 二葉亭四迷全集の校正係は、若き石川啄木だった。その後、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」と、妻をうたった啄木は、二葉亭の精神の後継者だったのかもしれない。

 

 俳句より、こういった書き記しを見逃さなかった虚子もまた、二葉亭主人のよき理解者であった。

 

 二葉亭が「ほしきもの」として記したメモも紹介している。

 

 紅葉「金色夜叉」 初  中   後 三篇

            40銭 40銭

 西鶴文粋       三十銭

 鴎外 「玉匣両浦島」 十五銭

 明治新俳句類題集   春夏秋冬 各一冊廿五銭

 福地老桜痴人著    赤穂浪士  四十七銭

 紅葉著        しば肴   五十銭

 

 「金色夜叉」「赤穂浪士」など、ほしい本から察すると、ごくごく庶民と変わらぬセンスを持った人であり、15銭などと本の価格を記しているからには、おそらく小遣いも自由にならない暮らしぶりだったことが伺える。言文一致の小説の創始者として教科書に出てくる二葉亭は、偉そうな態度の連中とは縁遠い、ごく普通の感覚をもった愛すべき猫好きであり、愛犬家であったのではないか。

 名無しの猫を追いかけ、マルという犬を探し出しての感想である。