ドゥーフの稲妻句

 届いた古本に、出版当時のチラシなどが挟んだままのことがあって、それはそれで興味深い。昭和3年刊行の「日本名著全集巻27」には、同全集の「特別通信・書物愛」(発行兼印刷人石川寅吉)が挟まっていた。

 

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 西鶴の句の短冊、凡兆の肖像などとともに、夭折した藤野古白(ピストル自殺)のことなど、俳句豆知識のようなものが掲載されていた。「人と句境」の欄には、北斎、海舟、馬琴など、俳人でない人物の俳句に交じって、「和蘭人アンデレツキヅーフ」の句が紹介されていた。

 

 稲妻の腕(かいな)を假らん草枕

 

 アンデレキヅーフは、「ヘンドリック・ドゥーフ」のことだった。

 前に、文化12年奉納の静岡浅間神社の「象図」を紹介した時に出てきたオランダ人の出島商館長「ドゥーフ」(1777-1835)だった。象図には、来日した象の経緯を書いた彼の蘭文、訳文が記されていた。

 

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 フェートン号事件に巻き込まれながら、ドゥーフは1798-1817年と20年ほど日本に滞在。その間「蘭日辞典」の編輯を主導した。日本語も達者だったようで、ドゥーフも「道富」と漢字表記し、上記の「稲妻」の俳句も作っていたことになる。

 ほかにも、オランダ人の句として「春風やアマコマ走る帆かけ船」の作品も残っていて、これも、ドゥーフの作と推測されている。西洋人で初めて俳句にチャレンジした人物のようだ。

 

 「春風や」の句の「アマコマ」は、あちこち、という意味なのだろう。春の疾風に煽られて、帆かけ船が動き回っている様子を描いている。

 ただし、稲妻の句は、わかりづらい。稲妻を旅中の枕にするというイメージが掴みにくい。

 

 これを機に調べてみると、HPで「HAIKU IN HOLAND」(HANS REDDINGIUS)という文章を見つけた。オランダでの俳句事情をまとめたもので、そこにドゥーフの句が紹介されていた。

 

  inazuma no kaina o karan kusamakura

Literally: let me borrow your lightning flash arms as grass pillow.(略)

 Let me borrow your arms, fast as flashes of lightning, to serve as pillow on my journey.

Probably this verse was written during a trip from Deshima to Edo for an obligatory visit to the shōgun. In a tavern he saw a girl cutting tofu at a high speed.

 

 REDDINGIUS氏は、稲妻を稲妻でなく、稲妻のように速い包丁さばきを見せる日本女性と解釈しているのだった。

 稲妻を枕にするのでなく、稲妻のような凄腕の日本の女性の腕を枕にしたいというのだ。「おそらく出島から江戸への道中の旅籠で、豆腐をハイスピードで切る若い女性を見て、作ったのだろう」と書いている。口説きの句ということになる。

「豆腐を切る」という部分は当てはまらないが、一解釈だと思う。

 

 漱石は初代猫を亡くして、庭に埋めた時、

この下に稲妻起る宵あらん」という句を残した。猫が亡くなる前に、稲妻のような眼をしたことを漱石は別に書いているが、それでも句意が分からない。

 

 稲妻には、江戸、明治と、今では理解できない多様なイメージや意味が付与されていたのではないか。

 芭蕉の付句にも、「地に稲妻の種を蒔らん」というのがあって、これもよく分からない。 

 REDDINGIUS氏の解釈が独自のものか、参考にしたものがあるのかはっきりしないが、稲妻の謎ときの参考になって、嬉しくなった。

 

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「書物愛」。赤穂義士討ち入り前日に、大高源吾と其角が句を交わしたという伝説なども掲載されていた。