古本店の店仕舞い

 本郷三丁目交差点にある古本店が、店仕舞いする。地下鉄で2駅、出かけてみると、おかみさんが坐っていて、あと1年頑張るといっていたんだけど、主人の体力がもうもたないと、4月で閉めることにきめた、といわれた。コロナとは無関係で、理由は高齢による引退。継ぐ人もいなかったという。

 

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 谷田博幸「ロセッティ」(1993年、平凡社)を択んで勘定をしていると、レジの後ろに画家中川一政の本が立てかけてあり、表紙の犬の表情が圧倒的だったので目を奪われ、「山の宿」(1946年、八雲書店)も購入した。

 おかみさんに「中川さんの作品なら、近くのあれにたくさん展示してあるじゃないの」と言われるが、要領を得ない。中川一政は文京区生まれで、地元の誠之小学校を卒業している。どこかに作品を寄贈しているのだろうか。

 ご主人には、宇野浩二の「回想の美術」を買ったとき、宇野は近所に住んでいて、銭湯でよくあったことを教えてもらったばかり。

 店が閉じれば、こういう貴重な記憶もまた、消えてしまうのだ。

 

 その、宇野浩二の文章は実にわかり易い。「回想の美術」で感心した。

 神保町の古本店の100円本で宇野浩二「馬琴・北斎芭蕉」(1943年、小学館)を見つけてすぐ買った。

 句点がやたら多いのが特徴で、「みな、望んで、日夜、かはりがはりに、北斎を、看護した。」と、短い文章に5つも句点があったり、「、した。」と、「した。」の前に「、」をしるすケースもある。 

 この本では、大坂で亡くなった松尾芭蕉の最期、門人たちが詰めかけた様子が眼に浮かぶようだった。

 たまたま旅中の一番弟子、其角が間にあったこと、各務支考向井去来にしかられた様子。

 また、芭蕉は下痢が止まらず、「自分の病気が不浄である事をはばかって、見まひ客を自分の病室に入れないために、惟然にいひつけて、その事を紙に書いて、門に張りつけさせた。そこで、看病の門人たちは、壁を隔てて、次ぎの間に控へた」こと。

 あの「近世畸人伝」に登場する広瀬惟然がてきぱきと用を果たしたのだった。

 

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 芭蕉の死を悼み弟子たちが慟哭する様子を、釈迦の涅槃図のように、前に紹介した鍬形蕙斎が略画で描いた「芭蕉翁臨滅度之図」が挿絵で載っていた。かつて東京・墨田区の木母寺にあった石碑を正面摺したもので、弟子の袖に「杉」「六」などの一字が書かれていて、杉山杉風森川許六などと分かるようになっている。

 

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 一方、蕙斎のライバル葛飾北斎の肖像は、宇野浩二と青春を過ごした画家鍋井克之が本の装幀とともに、扉絵で掲載していた。

 この本で、蕙斎と北斎が同居しているのも面白い。

 

 広がって行く俳人、画家のイメージ。古本屋は私にとって情報の宝庫だ。店仕舞いは哀しい。