ワーズワースの忠犬に出くわした

 英文学者の工藤好美さんを追いかけているうちに、英国ロマン主義文学のことも少し理解しないとならなくなった。
 工藤さんは、昭和6年(1931)に「コウルリヂ研究」を上梓したが、コウルリッジはワーズワースの友人で知られるロマン主義の詩人。工藤さんの生まれ故郷大分県佐伯市に教師として呼ばれ、文学の種を落とした国木田独歩ワーズワースの詩集に感銘、「武蔵野」を残す)の影響が、彼にも及んでいたことが分かる。
 
 ワーズワースの世界の入口を歩き出してみると、早速「犬」に出くわした。
 彼が愛した英国湖水地方の「忠犬」を描いた1806年「FIDELITY」という詩だ。 
 私が知らないだけで有名な詩らしい。
 1805年4月、犬を連れて単身、湖水地方の名山ヘルヴェリンの尾根伝いを歩いていたチャールズ・ガウは転落死してしまった。3ヵ月後、犬の吠える声でガウの遺体が発見されたが、白骨になるまで犬は、主人のそばを離れずに見守っていた、という実話に感動して詩にしたものだった。
 犬はマウンテン・ドッグでなかったものの、寒さに耐え、食べ物も十分でない環境下で主人を見守り、そばに居続けたと称えている。
 1805年はナポレオン戦争のさなか、ナポレオンは英国上陸計画を立てドーバー海峡に面したフランスの海岸に軍隊を結集していた。同年10月トラファルガーの海戦で英国艦隊はフランス・スペインの連合艦隊を壊滅したが、そんな折の山歩きだったことになる。湖水地方の人も民兵に取られ、ガイドがいなかったための、犬を連れての単独行になったのかもしれない。
 
 このけなげな犬が気になってしまった。
 マウンテン・ドッグ(セントバーナード、レオンブルガー、バーニーズなど)ではないのに、山歩きにつきあったのはどんな犬だったか。
 19世紀初めの英国の犬種では、テリアやスパニエルあたりなのだろうか。湖水地方近くのヨークシャーの渓谷では、身体が大きいので「KING OF TERRIERS」と呼ばれている「エアデイルテリア」というテリアがいることがわかった。
 英国の炭坑夫たちが性格のよい、頭のいい犬に育て上げたといわれる。猟犬として活躍し、男が仕事に出る間、家族を守る犬でもあったという。
 
 
 この忠犬を題材にして、ワーズワースより先に友人でスコットランドの詩人、小説家ウォルター・スコット(1771-1832)が、詩を発表していたのをその後知った。「ANIMATE NATURE HELVELLYN」と題した詩で、前書きで、彼は犬のことを「A FAITHFUL TERRIER」(ある忠実なテリア)と書いていた。
 ワーズワースの心を動かしたのは、エアデイルテリアかその仲間だったのだろう。