ボリス・ジョンソンが注意されたキップリングの詩について

 象のノート(7)
 
ジャングルブック」の児童小説で知られる英国の詩人、小説家のキップリング(1865-1936)は、ノーベル文学賞の受賞者でもある。英国統治下のインド、ムンバイで生まれ、ロンドンで少年時代を過ごした後、インドの新聞記者としてアジア(日本も含め)、豪州、南ア、北米を回って、19世紀の英国植民地下の様子をたくさん描いた。
   そのなかに、ミャンマーのことを描いた詩がある。ミャンマー駐在の英国兵士がロンドンに帰り、愛していたミャンマー娘をしのぶ歌。(1892年の詩集)
 
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  兵士と娘の2人が時を過ごしたミャンマーの寺院が冒頭に出てくる。
 
古きモルメンの五重の塔下、東方海を眺めつつ、
 ビルマの少女独り座し、我を思ふを我は知る。
 棕櫚の葉蔭に風薫り、寺の鐘どもかく語る。
『帰っておいでよ、ブリテン兵士。帰っておいでよ、マンダレへ。』」(中村為治訳)
 
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   BBCの今日のニュースで、あのお騒がせのボリス・ジョンソン英外相が、ミャンマーを訪問、その際、仏教寺院で起きた出来事を伝えていた。
   寺院を訪ねたボリスは、チャンネル4らの取材陣の要望で、金色の大きな鐘を3度ほど撞木で鳴らした。
   その直後、ボリスが口ずさんだのを、TVがとらえていた。
「寺の鐘どもかく語る。『帰っておいでよ、ブリテン兵士』」
 
   キップリングの上記の詩の一節だ。
 と、隣にいた英国の駐在大使はすかさず、「Not appropriate(ふさわしくない)」と忠告して、止めさせた様子をTVが伝えた。そんなニュースだった。
    18-19世紀、インド、東南アジアと植民地化を進めていた英国はミャンマービルマ)とも3次にわたる戦争の末、1824年から1937年まで植民地統治した。しかも、独立国だったビルマは、英領インドの一州として扱われた歴史がある。
   その時代を歌ったキップリングの詩だから、外相という立場を考えて、大使は止めたのだろう。
   この詩に、象が登場する。
 
彼女はバンジョー手に取って、『クッラローロー!』と歌うたふ。
   腕を私の肩に乗せ、頬を私の頬につけ、
   よく二人(ふたあり)で河蒸気船とチーク積み込む象を見た。
 
 象はチークを積み込むよ、
 泥溝泥水(どぶどろみず)の淀みに立って、
 四辺(あたり)は重くしんと静まり、口もろくろくきけぬほど!
 マンダレ指しての道すがら、等。
 
   象は鼻を丸めて、伐採されたチーク材を銜え、船に移していたのだろう。
   象が植民地での労働力に組み込まれて、酷使されていたことを、キップリングは見逃さずに描いている。
   200年前には、王様の乗り物でもあった象がー。
 
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(「シャム旅行記」から。岩波書店
 
    キップリングはその時代を、キチンと描いているだけだ。BBCのWEBニュースの見出しの
「BORIS JOHNSON WARNED OVER COLONIAL POEM」のように、「植民地の詩」の一言で片づけられるのは、少し悲しい。
 
   今回のことで、キップリングの詩は、暗唱されるほど今も英国人に親しまれていることが分かった。