スガル(蜾蠃)について、これまで、何回か触れてきた。
日本書紀に登場する少子部蜾蠃(チイサコベ・スガル)について、ふと思いついたことがあるので、メモしてみる。
きっかけは、河上邦彦氏の「三輪山と鉄」という文章を読んだことだ(「網干善教先生古稀記念考古学論文集」収録)。宗教的な聖山として扱われる大和の三輪山は、鉄を多く含んだ岩質であって、もともと鉄の産地であった可能性があるという内容だった。
大和が有力な鉄の産地であることが、「延喜式」などに書かれているが、具体的な鉱山はわかっていない。
三輪の「神」を「鉄」に変えて検証してみると、どうなるだろう。
1)穴を掘るジガバチ
鉄の鉱脈を探して坑道を掘る仕事(まさに穴師)は、スガル=ジガバチ(蜾蠃は中国語でジガバチの意味)の生態に似ている。ジガバチは、穴を掘って餌の虫を入れ、自分の卵を産み付ける。その独特の生態が古代から中国で注目されていた。
2)採掘に小人
スガルは、こ(蚕)の変わりに、こ(子)を集めてしまい、天皇から「少子部」の名を貰い子供たちの養育をした。スガルが集めていた子供はなにをしたのだろうか。
坑道に入るには体が小さいことが重要なのだと、紀元前1600-1400年の英国最大の銅鉱グレイト・オーム遺跡を紹介しながら、BBCが伝えていたのを思い出したのだ。同遺跡はリバプール大学の考古学者アラン・ウィリアムズ氏が調査、研究を進めているが、BBCは同氏の研究を伝えながら、この鉱山遺跡のマネジャー、ニック・ジョウィット氏の、狭い坑道ゆえ大人が入るのは難しく「おそらく子供たちが作業を行い、両親たちは近くで見守っていた」との推論を紹介し、「古代の英国銅鉱は子供たちが掘った」の見出しを立てて伝えていたのだ。
スガルが子供を集めたのは、坑道に入るための「小さな人」を集めたからではないか。
少子部スガルの集団は、雄略朝肝いりの採掘集団であり、また製鉄の集団だったのではないか。
河上氏は、三輪山の鉄の採掘は4世紀までで、5世紀には磐座祭祀など宗教的な聖地になったため、鉄の存在が無視されたのだと推測している。
雄略朝は、5世紀中ごろ。もう少し、当たってみる。