宮沢賢治歌集に出てきたスガル

 以前、ジガバチとスガルのことを書いた。
 日本書紀雄略天皇のくだりに、雷を捕えに行く蜾蠃(すがる)という名の男子が出てくる。蜾蠃という表記は、中国でジガバチのこと。なんで、ジガバチという名がついたのだろうか。
 といったことを書いたのだったー。
 
 8月に入って「宮沢賢治歌集」を読み直していたら、「すがる」という岩手の方言が出てきたのでびっくりした。大正6年、賢治22歳のときの短歌だ。
 
 かんばしき はねの音のみ木にみちて すがるの 黒きすがたは見えず
 
 森荘已池(もり・そういち)氏の校注で確かめると、「蜂や虻のことを、岩手縣の方言はすがり又はすがるといふ」とあった。
 
 歌は、蜂の黒い姿はみえないのに、羽音だけはしっかり木に満ちている、といった内容となる。
 
 すがるという言葉が、賢治の故郷に今も残っていたのだ。しかも、ジガバチと関係のある「ハチ」「アブ」の意味で。どういうことなのだろう。考えられる可能性は次の2つ。
 
 すがる 1)もともとジガバチのことで、やがて意味が広がり、ハチ、アブもさすようになり、東北の方言に残った。
 すがる 2)もともと、ハチ一般をさしたが、日本書紀の作成時、すがるという名にジガバチを意味する蜾蠃をあてはめ、意味が限定された。
 
 以前、中国南部の伝承に雷を捕える力士の話があり、スガルも怪力男子であったと推察した。
 スガル命名の訳は、
蜾蠃=ジガバチに、 腰細の特徴があり(万葉集にもでてくる)、腹筋が鍛えられた偉丈夫を意味した、
蜾蠃=ジガバチは、赤い腰の線の模様に特徴があり、赤い鉢巻をする力士をジガバチにたとえた、
 と仮説を立てたが、もう一度頭を整理しないとならない。
 
 しかしー、そういえば。岩手県の隣の津軽。ツガルという名の由来も諸説紛々で、謎のままではないか。日本書紀斉明天皇のくだりに出てくる、「津刈蝦夷」の津刈が、津軽の表記のはじめとされる。T音とS音は、入れ替わるから、スガル、スガリが ツガル、ツガリ になった、のだとも考えられる。
 
 栖軽と津軽。スガルから津軽も見直せないか。