古い湯島聖堂の写真を見てみた

イメージ 1
 
   湯島聖堂の続き。
 
 「三宅米吉著述集・上」収録の「聖堂畧志」に、湯島聖堂大成殿の写真が掲載されていた=上の写真=。
  大正期の撮影と思われる。あいにく、屋根の上部はカットされていて、「鬼犾頭」は映っていない。
 
 映っていれば、朱舜水版の動物像と、伊東忠太版の区別がついたのに残念だ。
 
 寛政12年(1800)に再建された大成殿は、天保14年(1843)に改修され、関東大震災で焼失するまで、このように無事に建っていた。
 
 当時のカメラマンが、屋根の上の「鬼犾頭」を外して撮影するというのは不可解。あるいは破損して、存在していなかった可能性も考えられる。
 
 「猫形蛇腹」の「鬼龍子」も、アップでみると、前脚があるものの、後足は覚束ない。
 
 イメージ 2
 
 イメージ 3 現在の伊東忠太の「鬼龍子」と比べてみると、腰、下肢が欠けているように思える。破損したのか。そもそも、こんな形だったのか。疑問が残る。
 いずれにしても、動物像をそのまま伊東が模写したわけではなさそうだ。
 
   イメージ 4 
 
 鬼龍子のリアルな猫の顔を改めて観察すると、伊東が自分の好みで作り上げた、との感を深くする。
 
 「聖堂畧志」には、元禄時代の大成殿も掲載してあった。朱舜水の設計で再建されたものとは無関係の、それ以前の建築だ。
  
イメージ 5
  花頭窓など、禅宗様も取り入れている事が判る。朱舜水の様式の建築と雰囲気が全く異なる。 屋根の上に、奇獣の影もない。
  動物意匠の見地から見た建築家朱舜水も面白そうだ。前に触れた江戸時代の亀趺についても、復活させた水戸光圀や「助さん」の背後に、朱舜水の存在があったのかもしれない。
 
 (続く)