我が家は10年以上前から、地元での初詣を済ませた後で、お茶の水の湯島聖堂に出かけることが多い。明治の建築家伊東忠太に興味をもって、伊東が関わった建築を回ったのがきっかけだ。今年は長男と2人で出掛けた。当初は参詣者もわずかだったが、最近は「お受験」を控えた子連れの姿を多く見かけるようになった。
主となる建物が大成殿。
湯島聖堂は(前回触れた)水戸光圀の儒学の師で、明の遺臣朱舜水の設計が取り入れられていることを、今年になって知った。すっかり、妖怪好みの伊東によるものとばかり思って眺めていた聖堂の大成殿の屋根の異獣もまた、朱舜水の意匠をそのまま受け継いだというのだ。

とある。
「明末(江戸前期)の儒学者。名は之瑜(しゆ)、字は魯璵(ろよ)、舜水は号。浙江省余姚の人。実学を重んじ、礼法や建築にも精通。明の再興を企てて成らず、一六五九年(万治二)日本に亡命・帰化し、徳川光圀に聘せられた。諡(おくりな)して文恭先生。著「舜水先生文集」など。 」
書棚から「三宅米吉著述集上」(昭和4年、目黒書店)を取り出して、「聖堂畧志」を紐解いた。聖堂の前身は、寛永年間、上野忍岡に建てられた先聖殿。元禄年間に、将軍綱吉が神田に移した。元禄三年「綱吉新ニ孔廟ヲ神田台ニ建テシメ親ラ大成殿ノ額字ヲ書シテ授ク」。
何度も火事で焼失し、寛政12年(1800年)将軍家斉の時、現在につながる配置に変えて、再建。この時に、諸儒が審議して浮上したのが、100年以上も前に朱舜水が徳川光圀のために制作した孔子廟の模型。 水戸に残っていたものを取り寄せて細かにその構造を究め、新廟は、これにのっとって建てられた。
屋根の動物も、朱が水戸の孔子廟で細かく指示しているものに沿った。
「殿頂左右に鬼犾頭を載せ四隅に鬼龍子各二を置けり」
鬼龍子は、「猫形蛇腹にして牙あり」と指示。
鬼龍子

鬼犾頭(きぎんとう)は、「龍頭魚身、二脚雙角、毎角両支、鋭きこと鋒刃の如く、支は銅鍍金、赫シャク(火へんに樂)目を眩す以て鴉を拒ぐなり」
《龍の頭に魚の胴体。足が2本に、角が2本。角のおのおのには2本の枝があり、ほこの刃のように鋭く、枝には銅の鍍金が施されて、輝いているから眩しく、鴉が近づけない》
(続く)