今年のバレンタインデーはいろんな意味で寒かったけれど、あとひと月もすれば、花の季節となる、まあいいか。 陰暦2月15日か、16日は確か西行忌だ。 願いがかなうなら、桜の下で死にたい、その如月の満月のころ、と歌った西行法師は、その通り、その時期に亡くなっている。
「花あれば西行の日とおもうべし」
表題句は、清瀬での100日間の入院療養から回復後の句。昭和49年花の季節がめぐってきて、西行忌を思いながら、そろそろ自分の死を思うべし、と述懐しているのだろう。西方浄土への旅路もまた、「西行」である。
源義氏の息子さん2人とは、映画絡みで、それぞれ幾度か話をしたことがあるけれど、学者でもあったこの人の謦咳に触れたことがない。激しい人であったらしい。
名を意識したのは、高校時代で、角川文庫や、辞書の発行者してではなく、 「ロダンの首 泰山木は花得たり」の句の作者としてだった。
高校の正門にこの木が植わり、校章も泰山木だった。泰山木の「花を得る」という感じが、なるほど、と思えたし、ロダンの彫刻との取り合わせが新鮮だった。「日本文学の歴史1」で、「まぼろしの豪族和邇氏」を読んで、また吃驚した。
この句集「西行の日」は昭和50年11月27日が発行日になっているが、1ヶ月前の10月27日に逝去した。花の下とはいかなかったようだ。
「バレンタインデー荒鵜は海猫(ごめ)の見張鳥」という出雲日御碕での2月14日の句も収められていた。前書きに「日の御碕、海猫を春呼鳥といふ」とある。
バレンタインデーが過ぎれば、春は近いのだ。