江戸の美術館だった、回遊式さざえ堂、羅漢堂

「以文会筆記抄」のつづき。
 
  江戸時代の文化年間、京都の趣味人が江戸にでて、本所羅漢寺で「阿蘭陀油絵」をみてきた話を前にかいたけれど、「本所羅漢寺」なら、さもありなん、と思った。
  18世紀後半、江戸っ子の好奇心のたかまりから、仏教寺院でも、回遊しながらたのしめる「見世物」寺院が誕生し、流行している。
  江戸本所(江東区大島)にあった、本所羅漢寺がまさに、その先鞭をつけた寺であった。
 
 1 「見世物」寺院は、さざえ堂=三匝堂(さんそうどう)を境内にたてた。
 
 3階建てのさざえ堂は、内部に不思議な、らせん状の階段をめぐらせ、最上階に行き、また、別の通路で1階に戻ってくる。くだる時、のぼってきた階段はみえないし、わからない。
 木造二重螺旋建築といって、実にうまくつくってある。
 さざえ堂内には、都合100体の観音菩薩が置かれていて、歩きながら拝める。本所羅漢寺には、西国33ヶ所の観音、坂東33箇所の観音、秩父34箇所の観音の、計100体の観音が安置されていた。
 本所羅漢寺は目黒に移転し、さざえ堂はのこっていない。しかし、有名な会津若松市の正宗寺の六角三層のさざえ堂や、埼玉県児玉の「成身院=百体観音堂」、 群馬県太田の「曹源寺=蜘蛛堂百体観音」で、さざえ堂をみることができる。
 
 家族をドライブだといってさそって、ごまかしごまかし、児玉と太田に、見物にいったことがある。
 
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     児玉の百体堂 外見は2階だが、中は3階になっている
 
 太田、児玉の100体の観音を、堂内を、回遊しながらみてまわった。壁には、現代の子供たちの絵や、和尚の金言などもはってあった。
  
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    児玉のさざえ堂の3階。左の階段からあがって、別の階段からおりる
 
 さざえ堂が、蘭学解禁で移入したイタリア・ルネッサンス建築の知識によってできたという説も、ありうるな、とおもった。
 
2  本所羅漢寺が「見世物」寺院であるのは、このさざえ堂のほか、本殿とつながる回遊式の東西羅漢堂があったことだ。
 こちらも一方通行で、同じ通路をまったく通ることなく、3つの堂をまわれる構造。  500体をこえる羅漢像がおかれていて、あるきながら、拝める(鑑賞する)ようになっていた。
 回遊式の羅漢堂は、大坂でも流行したが、今のこるのは、名古屋の大龍寺くらいだ。   大龍寺は下のサイトがくわしい。
 
 江戸の人たちは、本所羅漢寺に行き、さざえ堂で立体の回遊を、東西羅漢堂で水平の回遊をたのしむことができたことになる。
  珍品「阿蘭陀油絵」が、美術館のような、本所羅漢寺にかかげられていた訳もうなづける。京の趣味人は、さざえ堂や、回遊式羅漢堂も江戸で体験したはずだが、それに言及はしてない。