高山寺のことを調べていると、近所の神護寺とともに京の山中の一寺院でありながら、12-13世紀の文化発信の重要な拠点だった、と思うようになった。 結論を急がず、一歩一歩進んでいくとー。 運慶の長男湛慶が高山寺の木彫を手掛けた嘉禄元年(1225…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。