師走だからか、鐘が気になる

  近所の真言宗豊山派の寺では、除夜の鐘を勝手につかせてくれて、長男が小さい頃は、よく出かけたものだ。力むといい音がでない。近所に人がふえてからは、早々と長い列ができてしまって、やめてしまった。
  鐘は除夜でなくともつきたくなるのはどうしてだろう。高校時代の2年間、甲府出身の友にさそわれ、諏訪・富士見の曹洞宗の寺で夏休みの数週間をすごした。初めの夏は、鐘楼が珍しくて、友達とゴーンゴーンと打ち鳴らした。夕べ、畑仕事から戻ってくる近所の人たちが、寺にやってきて、「きょうは鐘がおかしな時間になっとたが、どうしたずら」といった反応があって冷や汗をかいた。正午や夕方にだけつくようにしたが、そのうちに直ぐあきてしまった。
 
以文会筆記抄」には、文化10年2-3月の第6冊に、鐘のことがでている。
 
 ≪釣鐘は古くからその場所に伝わって名高いものに、京都高雄(神護寺)の三絶の鐘がある。
その外は移動したものが多い。とりわけ有名な法金剛院の黄鐘調の鐘は、今は妙心寺にある。
また太秦広隆寺の鐘は西本願寺にある。比叡山西塔の宝幢院の鐘は北岩倉の大雲寺にある・・≫
  江戸時代の京都の文人の記した上記の鐘を調べてみると、
神護寺の三絶の鐘は、国宝。現在もかならず三名鐘に入る。貞観17年(875)鋳造。楷書で245字の銘がある。序・橘広相、銘・菅原是善、書・藤原敏行の三名家によるため、三絶の鐘とよぶ。
  銘文は以下ー。 
  ひびが入って今は鐘はつけない。
  法金剛院(花園)の鐘は、浄金剛院(嵯峨、今は消滅)の誤りだった。黄鐘(おうしき)調の鐘というのは、音の高さが、黄鐘(A音)=ハ長調のラを発するかららしい。Aが主音となる調子(イ短調)を「黄鐘調」といったりする。オーケストラで演奏前に、オーボエがA音を発して、他の楽器の奏者はA音にあわせて調音する。
 雅楽でも大事な音らしい。いい音がするので、NHKの行く年くる年でも、妙心寺のこの鐘が登場したが、いまは引退して、お堂に納まっている。
 
  ≪大峯山の山頂にある「鐘掛の鐘」といわれるものは、遠江国で造られたものだ。写しは、以下の通り。遠江国佐野郡原田郷/長福寺鐘/天慶七年六月二日
 大峰山は、紀伊半島の修験の山。絶壁の鐘掛岩があり、鐘掛の鐘は文字通り、ここに掛けてあったらしい。山上までどうやって静岡から運んだものか。944年=天慶8年の銘のあるこの鐘を、山伏たちが運び上げたのだろうが、以文会の会員たちも不思議だったのだろう。今は大峰山寺の本堂に置かれている。重文。
 ただし、鐘はもっと古く造られ、銘は追刻らしい。銘にある「遠江国 長福寺」(掛川市)では、熱心に大峰山に参詣した山伏が亡くなった後、鐘楼から鐘が空を飛んでゆき、鐘掛岩にかかったという伝承が残っている。
 
  東大寺の大鐘は、竜頭の上に文字がある≫
 響きが素晴らしい、26トンもある奈良時代鋳造の大鐘。竜頭に果たして文字があるのか。あった。大鐘は重たくて竜頭が壊れて落下したことが度々あった。延応元年(1239年)に修理されたときの、修理銘だった。 
 
 近江国( 竜王町)の野寺(竜王寺)の鐘は、鐘は黄鐘調という。一條天皇の手になる「龍宮鐘殿」額を掲げている。鐘の形は龍宮鐘を思わせる点がないので、龍に関連した銘があるかどうか調べてみるべきだろう≫
  野寺の梵鐘は、残念ながら、無銘だった。ただし、竜頭があり、今でもこの部分は白い布で覆われて、信仰を受けている。額は「龍宮鐘殿」でなく「龍寿鐘殿」と伝えられる。
 
  京都の文人たちが集めた情報は、浄金剛院ー法金剛院、龍寿鐘殿ー龍宮鐘殿の違いはあっても、いかにも好奇心にあふれた指摘があって、鐘ひとつとっても、関心することが多い。
 
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 沖縄・那覇へ滞在時間24時間のもったいない旅をした。仕事だから仕方ない。平和通りで見つけた、新作Tシャツに、 サシバのデザインが登場していた。
 
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  日本中のサシバが、秋に、幾万尾もの群をつくって、一斉にフィリピン、インドネシアへむけて南下し、沖縄本島をこえ、宮古島で休息する様は、一度見てみたい。