サシバの渡りの時期に沖縄を思う

 鷹が移動している。
 南に向かうサシバは、9月中に長野の白樺峠で1万1000尾、滋賀の猪子山で5000尾超を観測した、とhawk migration network of japan のHPが各地の速報を伝えている。
 台風が北上しているのが気がかりだが、今後、伊良湖岬で集結し、佐多岬(宮崎)でさらに群が合流し、徳之島、宮古群島を通って、台湾、フィリピンへと渡って行く。
  サシバの大移動だ。
  
 随分前、鷹柱と呼ばれる鷹の移動を、東京湾上空で見たことがある。
 昼前、品川に用があって、港南口の裏道を歩いていると、様子が変だった。大量の鴉が道路や屋根に舞い降りていた。雀もいる。見かけない鳥もいる。何かを避けて、警戒しているようだった。
 
 そのクセ、人間が近くに居ても平気だった。意味が分からなかった。
 
 暫くして、見上げると、大空に無数の鷹が柱のようになって、移動しているではないか。渦の柱、周辺にはこぼれた多数の鷹も見える。
 
 鴉たちはこれを恐れていたのだった。
 すごいものを見た、思いがした。
  翌日、新聞で報道されているのか、各紙の都内版をチェックしたが、載っていなかった。
 あのあと、個人的に幸運なことが続いて、鷹は縁起がいいのかな、とぼんやりと思ったりした。
 
 サシバは、10月終わりごろ、沖縄の上空に達する。
 宮古島ばかりか、沖縄本島に、こぼれ落ちたサシバは、獲られていた。
 本島の知花で暮らしていた明治生まれの金城山助さんの昔語り。
「南島の民俗文化」(上江洲均、おきなわ文庫)の一節にこうある。
 
旧暦九月になると、ハルウェンチュ(野鼠)をおとりにして鷹をとることがあった」
「鷹とりは禁止されていたので、早朝早いうちに準備して出かけた」
「大きいので二十銭、小さいのを十銭で売った」
 
 大正時代の頃である。売ったサシバはどうなったのか。
 50年ほど前の話を、詩人の岸本マチ子が書いている(「出会いの風景」)。
那覇国際通りで、大きな籠にぎゅうぎゅう詰めにされていた。
 「一羽どう? ねえさん」という。「なに鳥?」
 「あ、サシバだよ。子供の遊び相手に、飽きたら雑炊(ジューシー)にすればいい。一㌦五十㌣。安いよ」。
 眼光鋭いサシバの金眼(キンミー)から赤い涙が噴きこぼれそうで、どうしても買えなかった
 
 海外のWEBで、
    What eats an hawk?
     という質問があって、答えに
    「なにものも鷹は食べません。鷹は王者ですから」というのがあった。
 
 沖縄の奥深さよ。鷹を食べることは想像もしていなかったので、今となっては、どんな味だったのか、大いに興味がある。