酒楼で熊本人に、馬さしの由来を聞く

 熊本出身の主人がいる居酒屋で、「川辺」という米焼酎を飲んでいたら、隣席に熊本・人吉の方が居て、話し込んだ。熊本といえば、馬肉の食文化について聞ける、いいチャンスだったので、「豆腐馬すじ煮」を食べながら、話を次第に馬刺しに向けてみた。
「馬を食べるのは、フランス食文化と日本くらいですけど、熊本が一番古いようですね」
「熊本では、馬を食べるきっかけは、加藤清正だったといわれていますねえ」
「なんですって、虎退治のあの清正ですか、意外に新しいのですね」
朝鮮出兵のとき、清正は、蔚山(うるさん)城の戦いで、篭城しましてねえ。その時、兵糧攻めにあって、食べるものがなくなって、馬を食べたそうです。帰国して、広めたと伝えられています」
 
 篭城したときは、馬さしでなく、煮込んで食べたのだろうか。
 
「馬さしは、鯨のように刺身にして食べますね。漁の文化の調理法みたいですがねえ」
 
人吉の方は、ちょっと考えて、
 
蔚山には行ってきたのですが、そういえば、捕鯨基地があって鯨漁で有名な処でした」
 
 釜山の近くの蔚山では、近海の鯨漁が盛んで、伝統の漁を続けるために、地元では捕鯨が続けられるよう運動をしているらしい。
 馬さしの起源は、加藤清正が伝えたというのがポイントなのか、鯨漁の蔚山から伝わったのがポイントなのか。
  鯨の漁は、騎馬による巻狩りのように、組織的で計略性が求められ、似ているといえば似ている。鯨漁の文化から、あるいは馬さしを食べる食文化も生まれたのではないか。
 ただし、韓国・蔚山で、馬を食べていた証拠は、見つけられない。熊本市にも、蔚山町があることを知った。WIKIPEDIAには、町名の由来は、清正が蔚山から人を連れて帰って住まわせたため、との説も書かれていた。
 
 こっちの蔚山町には、馬さしの店がいっぱいある。
 
 
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   モンゴルの馬の群れ。モンゴル人は馬は食べない