草の香りと騎馬文化

 草の香りは、そもそもは草原の生活から発した言葉ではないか。
 モンゴル草原で馬を走らす長期滞在の日本人にあったとき、モンゴルで走る時、まず気付くのは強烈な草の香りだ、と話していた。
 
 草にも、馬が食べるものと、食べないものがあり、モンゴル人は香りですぐ分別するとも。
 
 草の香りは、農耕文化や漁業の文化からは生まれにくい言葉と思えるのだ。
 
 ところが、日本には古代から「草香部(日下部、クサカベ)」という氏族があって、気になっていた。
 
 どうして、草の香りの名の付いた人びとがいたのか。
 
 宮崎は日向の駒といわれたくらい、古代に大牧があって馬が飼育されていたが、そこの古い神社都万神社を奉祀してきたのが、「日下部」氏であるのを知って、ハッと気付いた。
 
 馬との関係で、クサカ、クサカベを調べよ、と。
 
 東大阪の日下(クサカ)貝塚には馬が埋葬してあった。
 
 騎馬で狩りをよく楽しんだ雄略天皇の、その夫人は大草香皇子の妹、草香幡梭姫(くさかのはたびひめ)だった。
 
 クサカと騎馬の関係は、ますます濃くなっている、というのが僕の印象だ。
 
 日下と物部氏との関係など、謎の氏族、クサカが、古代史ファンに関心を持たれているのもその後分かった。
 
 騎馬との関連も気にとめて、謎解きをしてほしい。
 
 
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