郡山の美術館で思ったこと

 福島・郡山に仕事で出かけたが、合間を見て郡山市立美術館を訪れた。森の中にある静かで美しいところだった。常設展のみの平日だったせいか、私以外に入場者がいなかった。
 
  ターナーの風景画が幾つかあった。
 
  
 ターナーというと、西洋かぶれの赤シャツと、提灯持ちの野だいこの会話が思い浮かぶ。
「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」
と赤シャツが野だに云うと、野だは 
「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。
 
  私は夏目漱石「坊ちゃん」を読んで、ターナーの名を知ったのだった。
 展示室に、監視の女性館員以外だれもいないので、絵を見ながら、ゆっくり昔の事が心に浮かぶのだ。
 
  天保年間に江戸・下谷の提灯屋次男として生まれた亀井竹二郎のタブロー。夜の春日大社の様子を、黒の使い分けで、見事に描いていた。闇と僅かな明かり。当時の夜の闇の暗さを偲ばせて唸った。亀井の「懐古東海道五十三駅真景」の内、夜の風景を数点集めて展示する美術館の演出も感心したし、夜の風景作家を知ったのがうれしい。
 提灯屋に生れたこともあって、闇と提灯の光に関心を持ったのだろうか。それを絵画で表現しようとした竹次郎は、なんと23歳で夭折したのだった。
 
参照  昼の絵ではあるが
 
 
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 ロビーには、英国のアントニー・ゴームリーのステンレス・スティールの小棒を用いた2000年制作の 2作が展示されていた。金属の小片で、人間が形づくられている。
 私の好きな彫刻家ジャコメティが、第二次大戦後、人間の存在を表現しようとして、削ぎ落し削ぎ落しして、なんとか凝縮した細長い人体像に行き着いたのに対して、ゴームリーの人体像は、DNAに分解され記号化されてしまった現代人のように、存在が希薄で影のようになってしまっている。私たちの姿と重なって、悲しくもいとおしく思えた。