もう随分前のこと。
刻まれた戦死者の名を目で追いながら、交通事故でさえ、加害者の責任が問われるのに、はて、これだけ、沖縄の民間人を巻き込んで死に追いやった責任者はだれなのか。
ウシジマという男か、チョウという男か、ナガノという男か。それとも、本土の大本営の作戦参謀の男たちか。ちゃんと、勉強しなければと思った。
固有名詞で考えないと、犯人が「戦争」になったり、「軍隊」になったりして、あいまいになる。あいまいはまずい、と。
その後、沖縄の親友が教えてくれたのは、両親は、ともに再婚だったということ。彼も、大きくなって両親に知らされたという。沖縄戦で、ともに連れ合いを亡くしてしまったため、戦後に再婚、そして彼が生まれたのだった。再婚前の両親それぞれに、彼の兄さん、姉さんにあたる子供がいたという。
いつも笑顔で温厚な彼の両親を思いうかべながら、沖縄の人の戦争体験について、僕らは分かっていないことが多すぎると思った。
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23日は、とある郊外の市庁舎で会議。慰霊の日だったのを、すっかり、忘れていた。