大津絵の花売娘に見おろされ

 書室の壁の上方から、ここ十何年も私を見おろしているのが、「花売娘」だ。

 大津絵の模刻で、あらためて確かめると、大正13年に日本木版印刷(株)の田中甚助によって刷られた木版だった。

 印刷社の住所は東京市外田端635番地。芥川龍之介、鹿島龍蔵らの住んでいた「田端文士村」の一角だった。この辺りは大正12年の関東大震災の被害が少なかったことは、龍蔵の「天災日記」の事で前に触れた。印刷所も無事だったため、災害の翌年に発行できたのだろう。

 

 大津絵は好きなので、押し入れにある同社の「日本木版画粋」のうちから、これを選んで額に入れたのだった。江戸時代、東海道は山科から大津宿間の街道で、土産物屋が安価な版画を売り出していた。仏画、鬼の絵、藤娘などバラエティにとんでいて、素朴でユーモラスでもある。それらが大津絵と呼ばれた。

 

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 花売娘は、若い女性が花笠を被って、天秤棒を肩にして花を2鉢下げて、売り歩く様を描いている。

 絵には、「生花はうきよの水につながれて命はきれて死なれざりけり」という言葉が刷られている。

 生花は切られて命はないはずなのに浮世の水につながれて死ぬことができないのだ、といった意味なのだろう。

 

 いち早く大津絵に焦点を当てた柳宗悦の「大津絵」を読むと、「姿は之も藤娘に類似する。異なるところは天秤を担ぎ、その両端に紐で花をつるし、売り歩く様である。花は植木鉢に植ゑられてゐるやうに見える」と花売娘を解説していた。

 花は生花でなく、植木鉢に見えるとしている。そうだとすると、歌の意味は、切り花は水のおかげで生きているだけでほんとは死んでいる。それに引き換え、鉢植えの花は生きているよ、と花売娘は鉢植えを売っていることになる。

 

 大津絵の藤娘は、円山応挙の絵に画中画として、家の中に貼られているのが確認されている。鑑賞だけでなく、御利益のあるものとされて大事にされていたからだろう。藤娘が手にしている藤は藤原氏を連想させ、権門勢家との良縁を叶えるものなどという解釈もあるらしい。

 柳宗悦は「藤娘が何を意味したか定かでない。後年の歌に云ふ、『さかりとぞ見るめもともに行く水のしばしとまらぬ藤浪の花』」としている。

「さかりとぞー」、美しい盛りもあっという間に過ぎ去ってしまうものよ、という教訓の道歌が、藤娘に添えられるのは、後年になってからであって、本来の意味は不明としているようだ。

 

「生花はー」も、道歌なのだろうか。

 花を、鉢植えと解釈しようが、生花と解釈しようが、どちらも死なないで生きているのだから、花売娘は「長寿」を叶える縁起物と、とりあえず勝手に解釈して、しばらく部屋に飾っておくことに決めた。