ラミュ「兵士の物語」から「恐怖の山」へ


 先月ヒマラヤの氷河が決壊してインドの村を濁流が襲い大量の死者が出たというニュースがあった。現地では氷河に極秘で埋められた核爆発装置が作動して崩落が起きたのだ、とのデマが流布しているとのことだった。それほど、氷河の崩落が予想外で凄まじいものだったのだろう。

 

 前に書いたように、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」(1918年)の台本を書いたスイスの作家ラミュ(1878-1947)のことを知りたくて、あれから2冊の翻訳本を読んだ。ともに夢中になって読み通すような内容だった。その一冊が、1926年の小説「恐怖の山」(河合享訳、昭和33年、朋文堂)で、アルプス地方の氷河の崩落と麓の村の壊滅が描かれていた。

 

 ラミュは、スイス西部のフランス語圏の作家だった。レマン湖周辺のこの地方は、気候もフランス南部と共通していて、葡萄の栽培が盛ん。ラミュがストラヴィンスキーと初めて会ったのも、葡萄畑が広がる丘陵地帯で、2人は斜面のカフェで地産のワイン、パン、チーズを嗜み、意気投合したのだった。

 

f:id:motobei:20210308152149j:plain写真は2人が出会ったラヴィ―のカフェ(「ストラヴィンスキーの思い出」泰流社の表紙)

 

「兵士の物語」は、純朴な農民が徴兵され、休日に帰郷する道すがら、悪魔のささやきに乗ってしまう悲劇を、簡単なストーリーにしているのだが、興味深いのは「恐怖の山」も、同じような純朴な若い男女が、結婚に向けてのお金を得んがために、悪魔のささやきに乗ってしまう悲劇だった。

 

 小説に出てくるスイスの貧しい村は、牧畜で生計を立てている。山の上に広い平地があるが、20年前にそこで悲劇的な出来事があり、以来タブーの地となっていた。山の神を怒らせたため起きたとの言い伝えが信じられていた。

 経済効率を重んじる若い村長は、迷信だと言い張る。村民が飼育する牛をその禁足地に3か月放牧すれば、経費は削減、収入も上がると村民を説得。牛を運び、現地で世話をする7人を募集して、山に派遣することに決定した。純朴な男も、お金のために結婚相手を説得して志願した。

 

 牧場で、まず牛に異変がでる。口蹄疫の発症だ。牧場の家畜ばかりか人間たちも村から遮断隔離される。牛の伝染は広がり、7人の精神状態が不安定になってゆく。連鎖する惨劇が、ぎらぎらする太陽と夜の闇、山岳、天、雲、霧などのリアルな自然表現を交えながら描かれる。

 

 ラストは氷河の後ろにたまった水が氷河を崩落させ、濁流が村を襲うカタストロフィー。純朴な男女も、村長以下村民はすべてが一連の惨劇、悲劇で命を奪われる。

 

 スイスロマンドの自然と暮らしを描いてきたラミュが、第一次世界大戦スペイン風邪の惨劇の体験を踏まえ、壮大な「黙示録」に仕立て上げたように、私には思えた。

 

 「兵士の物語」にこだわった解釈をするとー。小説には、不気味な男が描かれていた。誰も応募がないときに、一番に志願に現れた信用ならない男。牧場でも和を乱し、勝手な振舞いをする。ラミュは、この男をただ一人、この惨事を生き延びたと暗示している。この男こそ「悪魔」の化身ではないか。

 ラミュは、邦訳がぽつぽつ出だしているようだった。もっと読みたくなってくる。