騎牛の水滴と年賀状

f:id:motobei:20201204153634j:plain

 本棚に牛を象った陶器がある。そろそろ年賀状を作る時節なので、来年の干支の丑(うし)に目がいってしまう。

 

 書道用の水滴で、背中の穴から水を入れ、牛の口から硯の墨池に注ぐようになっている。細の祖父が使っていたもので、墨で黒くなった悪戯の跡もある。

 

f:id:motobei:20201204120707j:plain


 牛には少年が乗っている。貪るように学生時代に梅原猛共著「仏像 心とかたち」を読んで知っていたので、「十牛図」の一コマ、6の「騎牛帰家」を象ったものだとすぐわかった。

 

 禅の教えを十の段階に分けて伝えるもので、牛(仏性やら真理などの象徴)を、1 探しに行き、2 牛の足跡を見つけ、3 牛を見つけ、4 牛を捉まえ、5 牛を飼いならし、6 牛の上に乗って家に帰る

 

 この6の家に帰るところがこの水滴なのだった。

 

 この後は、悟りの境地がつづく。7 牛を忘れ、8 人も牛も忘れ、9 清浄無垢の境地に至り、10 再び世俗の世界に戻る

 

 版画、絵画などには、十牛図の6の段階が多く描かれる。いちばん絵になりやすいのと、本音を言えば、牛と人と仲良く家に戻るあたりが、達成感があっていちばん安らぎのある好もしい段階に思えるからだろう。

 

 牛を忘れ、牛も自分も忘れて深まり行く禅の境地。牛の水滴をいじりながら、年賀状のことも忘れてしまった。