明代・北京の象について触れ、賓客を迎える象は、どこで飼われていたのか、不明と書いたままだった。
象を飼育する「象房」というものがあって、その頃は、北京の宣武門内に作られていたのだった。宣武門は北京の内城の西南部にあり、その門内にある定力院に、象を馴らし仕込む象馴所や、象舎がある「象房」を拵えたのだった。管理は、儀仗や宮殿警護にあたる禁衛軍のひとつ、錦衣衛があたった。
時代は下るが、清朝末期に敦祟によって著された「燕京歳時記」には、
「(明代には)凡そ、大祝典には象を役使すること甚だ多く、車を引かしめ、宝物を負はしめるには皆用ひた。若し通常の儀式だと象は唯だ六頭を用ふるのみ」(小野勝年訳注)と書かれている。
図の象は、賓客歓迎のために、宣武門から東の午門まで繰り出されたことになる。描かれたのは、5頭きりなので、歓迎の程度は、通常か少し下の扱いといったところなのだろうか。
「毎歳六月六日に象を牽出し、宣武門外に往き、河の中で水浴をさせた」。
五条川という名の河川で、象を洗う儀式を、北京の住民は楽しみにしていたのだろう。見物人が多数詰め掛けたという。